憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

「政教分離」原則の憂鬱 <今年3月、パリ大モスクが「フランスにおけるイスラム宣言」を発表した!大モスクはカルチエラタンに近接し、このモスクの建設には国家が資金を援助し、落成式には大統領も出席した!>

 64日付朝日新聞3面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は。編集委員・大野博人氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「フランスでイスラム信仰拠点のひとつであるパリ大モスクが「フランスにおけるイスラム宣言」を発表した。

 「フランスはイスラムの地ではない。複数の宗教の信徒や無神論者らも暮らす地である。

 すべてのイスラム教徒はフランス共和国の法と価値観を尊重しなけらばならない。

 たとえば神への冒涜や宗教の劇画も合法だ。傷つけられたと主張はできるが、その禁止を要求したり暴力で反応してはならない」

 「今日の社会では、身体への刑罰や一夫多妻は正当化されない。また、男女の平等は当然のことである」

 出したのはことし3月末。

 大統領選擧を翌月に控え、イスラム系移民を問題視する右翼政党のマリーヌ・ルペン候補が勢いづいていた。結局、当選はしなかったものの、、決選にまで残る戦いぶりだった。

 相次いだテロなどの影響でイスラムへの警戒感が高まった結果でもある。

 イスラム教徒にとって、やりきれない空気は消えない。それはフランスだけではない。

 「イスラム教徒が少なくなるのは、明らかによいことだ。」――

 英国のマンチェスターでのテロが起きたあと、イスラムをテロの元凶であるかのように発言する論者が英BBCのテレビ番組に登場。

 イスラム教団体が抗議文をだした。

 各地で、信徒にとって憂鬱な日々が続いている。」と切り出した。

 続けて筆者は、「宣言は画期的との評価もあったが、それ自体の中では「単に、今日の現実に中で教義を明確にするもの」と規定している。

 何かを大きく変えたわけではない。

 では今なぜあらためて?

「困ったことになったいう思いが動機です」と大モスクの責任者、ダリル・ブバクール師。

 イスラムとは,聖戦と称してテロを起こす「ジハーディスト」の思想のことだという見方が蔓延し、ルペン氏のように排他的な主張への支持が広がる。

 いっしょくたにしないでほしい、と訴えるためだったという。

 「私も原理主義者は嫌い。だから脅かされて、警察に守ってもらったことさえあるくらいなのに」

 「宣言」前文も「政治、メデイア、知識人などのあらゆる分野で高まる、イスラム教徒という少数派を悪魔視する姿勢の高まり」に強い懸念を示している。

 イスラム恐怖症あるいは反イスラム神経症などと呼ばれれる現象だ。

 こうした言説を唱える側がしばしば根拠にするのが「政教分離」の原則である。

 たとえば、学校がスカーフ姿のイスラム教の女子生徒に、退学を迫る。スカーフは宗教への帰国をこれ見よがしに示すもの、との考えによる。

 女性抑圧の象徴との見方もある。

 だが退学まで持ち出しては、社会を寛容にするための原則が結局、不寛容である言い訳になっているように見える。」と指摘した。

 最後に筆者は、「大モスクはパリの学術の中心、カルチエラタンに近接している。その姿は優美で、観光名所でもある。

 建てられたのは1926年、政教分離を求めた法律は、それより20年あまり前に制定されている。にもかかわらず、このモスクの建設には国家が資金を援助し、落成式には大統領も出席した。

 第一次世界大戦でフランスのために戦い倒れた約7万人ものイスラム教徒をたたえようと、前からあった計画が一気に進んだのだという。

 政教分離法にふれるのを避けるため特別法さえ制定した。

 イスラム教徒の大半は北アフリカの仏植民地出身者だ。文化や宗教が異なるとしても「同胞」である。

 植民地政策の一つとして宗教的なアプローチも欠かせなかったのだろう。

 大原則も都合のいいようにすり抜けたり解釈しなおしたりする政治と、それを支える言論。

 大モスクは大統領選でマクロン候補支持を訴える声明をだした。

 「私たちのような少数派を保護するのは国家の役割のはず。大統領になった彼に期待します」とブバクール師は話した。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 今年3月、「パリ大モスクが「フランスにおけるイスラム宣言を発表した」とのこと、

 中に「フランスはイスラムの地ではない。複数の宗教の信徒や無神論者らも暮らす地である。

総てのイスラム教徒はフランス共和国の法と価値観を尊重しなければならない。たとえば神への冒涜や宗教の戯画も合法だ。傷つけられたと主張はできるが、その禁止を要求したり暴力で反応してはならない」とあること、

 「今日の社会では、身体への刑罰や一夫多妻制は正当化されない。また、男女の平等は当然のことである」とあること、等を教えてくれる。

 「大モスクはパリの学術の中心、カルチェラタンに近接している」とのこと、

 「建てられたのは1926年。政教分離を定めた法律はそれより20年あまり前に制定されている。にもかかわらず、このモスクの建設には国家が資金を出し、落成式には大統領も出席した」とのこと、

 「政教分離法に触れるのを避けるため特別法さえ制定した」とのこと、等々を知ることができた。

 あらゆる宗教が、宗教の教義をかざしての「暴力」や「戦争」を罪悪視し、信者に徹底すべきだ、と思った。

 宗派の教義を「暴力や戦争」の免罪符には絶対にならないと信徒に徹底すべきだ、とも思った。

 また、殺人を始め犯罪行為を起こすものを出した宗派は、宗派として、その結果責任を負うべきだと思った。

 


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by sasakitosio | 2017-06-10 06:35 | 朝日新聞を読んで | Trackback