憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

山本宣治の戦い 再び脚光 < 治安維持法に反対し、1929年3月、東京の旅館で右翼団体のメンバーに刺殺された!39歳だった!凄い人間がいたものだ!!>

5月28日付東京新聞朝刊26面に、「ニュースの追跡」という欄がある。

 今日はこの記事に学ぶことにした。

 まず記事は、「共謀罪法案の国会審議が続く中、じわじわと注目を集めている戦前の国会議員がいる。庶民から「山宣」と慕われた労働農民党の山本宣治(1889~1929)、治安維持法に反対し、39歳で凶刃に倒れた。その生涯を描いた映画も各地で自主上映されている。今、なぜ「山宣」なのか。   (佐藤大)

 今年3月東京都渋谷区で開かれた映画「武器なき斗い」(60年製作・山本薩夫監督)の上映会は、重い空気に包まれた。山本宣治の生涯をたどった半世紀以上前の作品に、約100人が集まった集会から「もの言えない空気が今と同じだ」との嘆息も漏れた。

 上映した市民グループ「憲法を考える映画の会」の花崎哲さん(65)も今と重ねずにいられなかった一人だ。「国会で治安維持法を批判する山宣の質問に、役人はまともに答えずにはぐらかせるばかり。今の共謀罪の国会審議と同じではないか」

 「武器なき斗い」を販売・貸出している「独立プロ名画保存会」(東京都杉並区)の山本洋子さん(75)によると、今年に入りにわかに問い合わせが増えている。

 「共謀罪の勉強をしたいという方が多い。昔見て、若い人に見せたいという方々も連絡してきている」と話す。」と切り出した。

 続けて記事は、「山本宣治とはどんな議員だったのか。京都府宇治市の出身で、18歳で園芸研究のためカナダに渡ったこともある異色の生物学者だ。

 東京帝大で動物学を学び、京都帝大や同志社大で教壇に立った。

 教授たちの反対を押し切ってタブー視されていた性科学の講義をおこない、「うめよ増やせよ」の時代に産児制限運動に奔走したことでも知られる。

 大学を追われたが、1928年に労働農民党から出馬し、当選。25年に制定された治安維持法の最高刑を懲役10年から死刑に引き上げる改正論議があり、労働者らへの弾圧強化を危惧して反対した。だが、29年3月。東京の旅館で右翼団体メンバーに刺殺された。その日の前日に大阪で「山宣ひとり孤塁を守る。だが私はさびしくない。背後には大衆が支持しているから」と演説したのは語り草で、郷里の墓にその言葉が刻まれている。」と教えてくれる。

 さらに記事は、「長野県上田市で山本宣治の記念碑を守る「長野山宣会」の藤原超事務局長(80)は「安保関連法の議論の頃から、記念碑を訪れる人が増えている」と話す。

 殺害の4日前に上田市で演説していた縁で、地元の人々が翌30年に記念碑を建立。

 戦時中も当局の破壊命令にもかかわらず、ひそかに土の下に埋められ守り抜かれた。

 来訪者用のノートには、国民の負託にこたえようと命がけで闘った山宣への賞賛や、治安維持法に似る共謀罪への危機感がつづられている。

 「治安維持法は共謀罪とは関係ない、たいしたことはないと政府はごまかしたいようだがひきょう」と話し、こうした国会審議への不満が「山宣詣で」に繋があっているとみる。

 毎年、命日の3月5日に「山宣墓前祭」を開催している京都の「宇治山宣会」は今春、「山宣をもっと多くの人たちに知ってもらいたい」と「山宣クリアファイル」を1500セット作成した。」とのこと。

 最後に記事は、「薮田秀雄(72)は「山宣は闘士というより普通の生物学者だった。

 人間がいかに生きるか、という問題から、戦争に反対し、治安維持法に反対した」と説明しこう訴える。

 「共謀罪もいったん成立してしまえば際限なく拡大解釈されてしまう。山宣は孤軍奮闘したが、今はそうではない。

 自由や民主主義を守るために力を尽くすときだ。」」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「今年3月、東京都渋谷区で開かれた映画「武器なき斗い」(60年製作・山本薩夫監督)の上映会は重い空気に包まれた」とのこと、

 「山本宣治とはどんな議員だったのか。京都府宇治市の出身で、18歳で園芸研究のためカナダへ渡ったこともある異色の生物学者だ。

 東京帝大で動物学を学び、京都帝大や同志社大で教壇に立った。

 教授たちの反対を押し切ってタブー視されていた性科学の講義を行い、「産めよ増やせよ」の時代に産児制限運動に奔走したことでも知られる」とのこと、

 「大学を追われたが、1928年に労働農民党から出馬し、当選。25年に制定された治安維持法の最高刑を懲役10年から死刑に引き上げる改正論議があり、労働者らへの弾圧激化を危惧して反対した」とのこと、

 「29年3月、東京の旅館で右翼団体のメンバーに刺殺された。その前日に大阪で「山宣ひとり孤塁を守る。だが私は寂しくない。背後には大衆が支持しているから」と演説をした」とのこと、

 「殺害の4日前に上田市で演説していた縁で、地元の人々が翌30年に記念碑を建立。戦時中も当局の破壊命令にもかかわらず、ひそかに土の下に埋められ守り抜かれた」とのこと、

 「毎年、命日の3月5日に「山宣墓前祭」を開催している京都の「宇治山宣会」」があるとのこと、等々を初めて知ることができた。

 偉い人間がいたものだと思った。

 原発事故が起きるまでは被害の規模がこれほど広くこれほど長く続くとは、想像できなかった。

 そして、政府が安全だというのだから、事業者の東電が安全で安価だというのだから、大丈夫だという「ほとんど根拠のない安心感」に浸っていたことに、原発事故の後に気づかされた。

 同じ後悔を「共謀罪」で味わないで済ませたいものだ、と思った。駅での街宣、ビラまき等できるだけのことは実践することにした。

 

 

 


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by sasakitosio | 2017-05-30 19:00 | 東京新聞を読んで | Trackback