憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

大島大誓言が教えるもの<1946年1月29日、GHQの覚書で、日本政府の管轄権から外された中に伊豆の島々が入っていた!復帰したのは53日後だった!ために大島憲章が幻になったのだ!!>

5月4日付東京新聞社説に、「憲法70年に考える 大島大誓言が教えるもの」との見出しで、日本国憲法前夜のことが載った。

 今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「終戦後の一時期、日本から切り離されようとした伊豆大島で「暫定憲法」が作られました。

 その基本原理は主権在民、そして平和主義です。

 当時の伊豆大島には「寝耳に水」だったことでしょう。

 終戦翌年の1946年1月29日、連合国軍総司令部(GHQ)は日本政府の行政権限が及ぶ範囲を北海道、本州、四国、九州とその周辺の島々に限定する覚書を出しました。

 北方4島や沖縄、奄美群島、小笠原諸島などが日本政府の管轄外とされましたが、その中に伊豆の島々が含まれていたからです。」と切り出した。

 続けて社説は、「その一方、伊豆諸島の大島については沖縄や奄美、小笠原など、ほかの島しょ部とは違い、米軍による軍政が敷かれないことも明らかになりました。

 当時の島民にとって残された道は、日本からの「独立」しかありませんでした。

 覚書からほどなく、当時、大島島内にあった六村の村長らが集まり、対応策を協議します。

 そこで出した結論が、島民の総意で「暫定憲法」に当たる「大誓言」を制定して議員を選び、その議員で構成する議会が、憲法に当たる「大島憲章」を制定する、というものでした。

 大誓言は存在のみわかっていましたが、長年不明のままでした。

 現在の大島町の郷土資料館の収蔵庫からガリ版刷りの全文や分野メモなど当時の資料が見つかったのは97年のことです。

 大誓言は趣旨を記した前文と23の条文から成っています。まず注目すべきは、前文で平和主義を謳っていることでしょう。

 <よりて旺盛なる道義の心に徹し万邦和平の一端を負荷しここに島民相互に誓う>(現代仮名遣いに修正、以下同じ)」と教えてくれる。

 さらに社説は、「そして1条では<大島の統治権は島民に在り>と主権在民を掲げています。

 また、行政府である「執政府」の不信任に関する投票を議会が有権者に求める「リコール制」も盛り込んでいます。

 当時の日本政府が現行の日本国憲法となる「憲法改正草案」を発表したのが、この年の4月17日ですから、現行憲法の姿が見える前に、その先を行く進取的な内容をまとめたいたのです。

 大誓言を研究する憲法学者で名古屋学院大学社会学部准教授の榎澤幸広さんは「大誓言には権力を制限し、監視するという立憲主義の精神が現れています。

 この思想は近代憲法の一番重要な部分です」と評価します。

 大誓言のとりまとめは、大島六村の一つ、元村村長で、「島の新聞を発行する元新聞記者でもあった柳瀬善之助(1890-1968年)が中心になり、大工で共産党員だった雨宮政次郎(1905-52年)、三原山に自殺防止のための御神か火茶屋をつくった高木久太郎(1890-1955年)らが協力します。

 では彼らはどうやって暫定憲法をつくったのでしょう。

 終戦後、本土で新しい憲法の制定を目指す動きが活発でした。

 45年11月には共産党の「新憲法の骨子」、12月には民間の憲法研究会による「憲法草案要綱」が発表されます。

 これらは新聞にも掲載され、大島にも船で届いていました。榎澤さんは「こういうものを参考にした可能性はある」と話します。

 しかし、それ以上に影響を与えたのが、離島と言う地理的な要因と戦争と言う時代的な背景です。

 大島のような離島では戦前「島嶼町村制」が敷かれていました。本土の町村制とは違い、自治権や公民権を制限する差別的な制度です。

 本土では男子による普通選挙が導入された後も、納税額による制限選挙が続いていました。

 また戦時下や終戦直後の島民の生活は、食料や生活物資に乏しく、苦しいものでした。

 榎澤さんは、柳瀬らがこうした状況を「反面教師」として、平和主義や主権在民の「「大島憲章」を作ろうとしたと推測します。」と教えてくれる。

 最後に社説は、「大誓言は3月上旬にできましたが、22日にGHQの指令が修正され、伊豆の島々は53日目に日本の管轄権内に復帰します。

 大島独立は幻となり、大誓言はしばらく忘れ去られていました。

 しかし、大誓言の存在は、明治から昭和にかけて数多くつくられたた私擬憲法とともに、平和主義や主権在民が、日本人が自ら考え出した普遍的な結論であることを教えてくれます。決してGHQの押しつけなどではありません。

 今、時の政権の思惑で改憲論議が活発になり、立憲主義が蔑にされつつあります。だからこそ、自ら憲法をつくろうとした先人たちの気概に学ばねばと思うのです。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「「終戦後の1時期、日本から切り離されようとした伊豆大島で「暫定憲法」がつくられた」とのこと、

 「1946年1月29日、連合国軍総司令部(GHQ)は日本政府の行政権が及ぶ範囲を北海道、本州、四国、九州とその周辺の島々に限定する覚書をだした」とのこと、

 「伊豆諸島の大島については沖縄や奄美、小笠原など、ほかの島しょ部とは違い、米軍による軍政が敷かれないことも明らかになります。当時の島民にとって残された道は、日本からの「独立」しかありませんでした」とのこと、

 「覚書からほどなく、当時、大島島内にあった六村の村長が集まり対応策を協議しました。そこで出した結論が、島民の総意で「暫定憲法」に当たる「大誓言」を制定して議員を選び、その議員で構成する議会が、憲法に当たる「大島憲章」を制定する、というもほでした」とのこと、

「大誓言は3月上旬にできましたが、22日にGHQ指令が修正され、伊豆の島々は53日目にして日本の管轄権内に復帰します。

 大島の独立は幻となり、大誓言はしばらく忘れ去られていました」とのこと、等々を知ることができた。

 社説に触発されて、ネットで調べたら戦争直後の「憲法改正案一覧」を見つけて読んだ。

 1945年9月18日から1946年3月5日の間に、政府等関係から38本、政党・民間グループ・個人から16本の案が出ていたことが分かった。

 そして、限られた時間と情報と人員の中で、大誓言ができたことに関係者の努力と知性の高さに感心した。

 また、大工で共産党員だった雨宮政次郎(195~52)がいたとのことであるが、日本国憲法の国会採決で反対した唯一の政党が日本共産党であったと聞いているが、その際、雨宮政次郎さんはどのような心境だったのだろうか、気にかかった。


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by sasakitosio | 2017-05-07 16:18 | 東京新聞を読んで | Trackback