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by sasakitosio

アメリカ大統領の心と指先 <粗暴さとは 弱者による強さの模倣品である=「波止場の哲人」・エリック・ホッファー!!トランプ大統領の本質を突いている!?そうかも?>

3月5日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は、編集委員・福島申二氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「先日訪ねた長崎県原爆資料館で一枚の写真を見た。二人の会話が聞こえてくるようないい写真である。

 「こうやって折るんですよ」

 「けっこう難しいなあ」―――といったような。

 二人とは、アメリカの駐日大使だったキャロライン・ケネディ氏と、大統領だったオバマ氏。

 ケネディ氏から資料館の中村明俊館長に届いた新年のあいさつ状に、折鶴を練習する両人のスナップ風の写真が添えられていた。

 そんな「特訓」の成果であろう。オバマ氏の手になる折ずる二羽が。長崎市に贈られた。去年広島市に贈ったのとは別に長崎の為に折ったと言い、写真と一緒に期間展示されている。きっちりと折られた2羽を見ながら、おそらくぎこちなく、しかも丁寧に動いたであろうオバマ氏の指先を想像した。

 館長の中村さんは、青来有一の筆名を持つ芥川賞作家でもある。「手は心につながっていると言いますが、写真も鶴もオバマさんという人間への信頼と敬意を感じさせるものがあります」

 ひるがえって思う。

 トランプ大統領の心につながる指先には、「鶴を折る」に象徴される根気と意志と繊細さが備わっているだろうか。その指先はもっぱらツイッターに向かい、気に食わない相手を攻撃する発信に余念がない。」と切り出した。

 続けて筆者は、「気に食わない相手の一つが、自分に批判的なメデイアである。

 といっても、大統領と報道機関のいさかいはトランプ氏に始まったことではない。

 たとえば建国の父の一人ジェファーソン。

 第三代大統領につく前には「新聞なき政府と、政府なき新聞の、どちらかを選べというなら、私は躊躇なく後者を選ぶ」と述べたことはよく知られている。

 それが2期目の就任演説では「新聞の砲列は、無責任という鋳型がつくるあらゆる形の弾丸を込めて、容赦なく我々に発射した」と非難に変わる。

 そしてとうとう「新聞を読まない者の方が、読むものより正しくものを知っている」と捨てぜりふめいた書簡を記すに至った。

 そのジェファーソンの言う「新聞の砲列」を題名にした、キューヨーク・タイムズの名記者で副社長だったジェームズ・レストンの本を久しぶりにめくってみた(邦題は「新聞と政治の対決」)。

 歴代大統領とメデイア、つまりニュースされる側とする側のせめぎあいなどをめぐって興味の尽きない一冊だ。レストン自身の主張としてこんな一節がある。

 「世界に運命を左右する実力を持つ米国政府。

 特に大統領個人のためになるのは、イエスマンの新聞ではなく、その反対、すなわち砲列のごとくかまびししく、しかも正確に発射される、批判と事実の活発な砲撃なのだ」。

 新聞人の独善とみる向きがあるかもしれないが、前任オバマ氏は、この言葉の意味するところを心に留めていたと思われる。

 在任中最後の記者会見でこんな風に語っている。

 「必ずしもあなた方の記事が愉快なわけではなかった。しかしそれこそが、みなさんとの私の正しい関係でしょう」。

 それに比して,意に染まないメデイアを「米国民の敵」とののしり、会見から締め出す現職は、幼児性の中に嗜虐が透けて見えるようで不気味である。」と指摘した。

 最後に筆者は、「米国カリフォルニアで港湾労働をしながら思索を深め、「波止場の哲人」と呼ばれたエリック・ホッファーの残した一つの言葉が、トランプ氏の本質をついているように想われてならない。

 「粗雑さとは、弱者による強さの模倣である」(「魂の錬金術」から)

 挑発する。

 壁をつくる。

 記者を締め出す。

 世界が驚く軍拡予算をぶち上げ、核兵器における世界一を強調する。

 つまりは誰にも逆らわせないーーーーーー。

 トランプ氏が国民に示す「強さ」とは、実のところは弱い人間による粗暴なのだと、波止場の哲人なら見抜くかもしれない。

 長崎の話にもどれば、象徴的な言い方ではあるが、トランプ氏の指先は「核のボタン」の上に置かれている。

 長崎であった何人かの被爆者から不安の声が漏れていた。

 その指先が鶴を折る光景を想像するのは、いまのところ難しい。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「オバマ氏の手になる折鶴2羽が、1月に長崎市に贈られた」とのこと、

 オバマ氏は在任中最後の記者会見で、「必ずしもあなた方の記事が愉快だったわけではなかった。しかしそれこそが、皆さんと私の正しい関係でしょう」とかたったとのこと、

 「波止場の哲人」と呼ばれたエリック・ホッファーの残した言葉に、「粗暴さとは、弱者による強さの模倣である」とあるとのこと、等々を知ることができた。

 また筆者の「意に染まないメデイアを「米国の敵」とののしり、会見から締め出す現職は、幼児性の中に嗜虐が透けて見えるようで不気味である」とに指摘は、共感できた。その不気味さが、北朝鮮の幼児性にどのように反応するのだろうか?

 不気味さに上に不気味さが重なる、そんな気分だ?


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by sasakitosio | 2017-03-09 06:27 | 朝日新聞を読んで | Trackback