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by sasakitosio

民主政治のよりどころ 「事実」は切り取り方次第<トランプ氏がもしも「事実」などより「説得」によって政治は動くと考えているとすれば、彼こそもっとも民主主義的な大統領???>

33日付朝日新聞朝刊17面に、「異論のススメ」という欄がある。筆者は、京都大学名誉教授・佐伯啓思氏だ。今日はこの筆者は学ぶことにした。

 まず筆者は、「トランプ大統領の就任から1カ月以上たっても、いまだに、この人物の言動が世間を騒がせている。とりわけ大手メデイアとの対立は激しくなっているが、この対立の様相を報じるのがまたメデイアであり、こうなると、審判が試合に参加しているような、あるいは、一方の側の選手が実況中継しているような感じでもある。

 それでは困るとばかりに、トランプ氏は「メデイアは嘘つきだ」という「フェイク・ニュース(偽りニュース)」を報道している、という。

 それに対して、メデイア側は、トランプ大統領は事実を尊重しない、と批判する。

 少し気の利いた識者は、今日の政治は「ポスト・トゥル―ス」の政治、つまり「真実」が意味をなさなくなった政治だ、という。

 トランプ氏を選出した昨年11月の大統領選など、まさしく「ポスト真実」の選挙だった、というわけである。いわば、あの大統領選挙がフェイクだったといいたいのであろう。

 トランプ氏の発言が、「事実との食い違い」という点であまりにお粗末である(たとえば、先日スウェーデンでテロが起きたかのような発言など)ことは事実で、確かに思慮あるべき大統領としては論外と言いたくなる。

 ところが、私にもっと興味深く思われるのは、多くの人が、特にトランプ支持者は、彼の発言が事実に合致しているかどうかなど、さして問題にしていないように見える点である。

 「スウェデンでテロはなかった」という「事実」を突き付けられてもさして動揺もしないのであろう。

 ここにかなり興味深いことがあるが、考えようによっては大変深刻な事態だとも言える。

 メデイアは。トランプ氏は事実を平気でねじ曲げる、と批判する。ということは、メデイアは事実に基づいて報道を行っている、ということであろう。

 しかし、では「事実と何か」と問えば決して話は簡単ではない。

 先の大統領選挙では、米国の大半の大手メデイアはヒラリー・クリントンの優勢を伝えていた。

 この「予測」は、各種の取材に基づく、つまり「事実」によるものだった。しかし、ある日本のジャーナリストは、現地に行って集会に出かければ、トランプ陣営の方にはるかに熱気を感じるといい、トランプ勝利を予測していた。

 彼の皮膚感覚のようなものであろう。では、この場合「事実」はどちらにあったのだろうか。」と切り出した。

 続けて筆者は、「われわれが「世界」について知るのはほとんどメデイアを通してである。

 例えばトランプ氏がどのような人物であるかもメデイアを通して知りうるだけである。

 メデイアが提供する情報をわれわれは「事実」だと思っている。 では、メデイアは本当に「事実」を報道しているのだろうか。

 そう簡単には言えない、と述べたのは、「世論」を書いた米国のジャーナリストであるリップマンであった。1922年だから100年近くも前のことだ。

この古典的な書物において、彼は、メデイアが言う「事実」なるものは、その取材者の世界観や先入観によって「世界」を恣意的に切り取ったものだ、という。

 それは、ジャーナリストの悪意というより、人間の認識そのものの構造なのだ。

 「世界全体」などわれわれは見ることも知ることもできない。

 せいぜいその一部を切り取るのだが、その切り取り方にすでに先入観が持ち込まれている。こういうのである。

 そして、リップマンが警鐘を鳴らしたのは、疑似的な「事実」をもとにメデイアが作り出す「世論」が現実に政治を動かすからである。

 「世論」が民主政治を動かす「神」のごときものとなれば、自己主張を「事実らしく」みせて「世論」を形成することで政治に影響を与えることができるだろう。

 トランプ氏からすれば、メデイアは最初から偏った報道で世論をつくりだしている、といいたいのであろう。」と指摘した。

 最後に筆者は、「ところで、今日、われわれはもはや、トランプ氏と同様、「客観的な事実」などというものを容易には信じられない世界にいる。

 たとえば、東京都の豊洲市場予定地についての確たる「事実」はどこにあるのだろうか。南スーダンで何が起きているのだろうか。

 すべて「見方」の問題ではないか、言うほかない。

 そして、民主主義というものは、客観的で確かな事実や真実などわからない、という前提に立っている。

 それより、人々がそれをどう判断し、どう解釈するかという個人の見解の自由に基盤を置いているのだ。

 だから、古代ギリシャのポリスの民主政治においては、「事実」はどうあれ「説得」する技術を教えるソフィストが大活躍したのである。

 トランプ氏がもしも「事実」より「説得」によって政治は動く、と考えているとすれば、彼こそ最も民主主義的な大統領だということになるだろう。

 メデイアが「事実」を持ち出して争っても分が悪いのだ。

 「ポスト真実」は今始まったことではない。

 民主政治と不可分である。

 われわれが頼りにすべきものは、「事実」そのもというより、それについて発言する人物(あるいはメデイア)をどこまで信用できるか、という「信頼性」だけなのである。

 その信頼性を判断するのは結局われわれ一人一人なのである。

 われわれにその判断力や想像力があるかどうかが政治の分かれ目になるのであろう。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「メデイアは本当に「事実」報道しているのだろうか。そう簡単には言えない、と述べたのは、「世論」を書いた米国のジャーナリストであるリップマンであった。1922年だから、100年近く前のことだ」とのこと、

 「この古典的な書物において、彼は、メデイアが言う「事実」なるものは、その取材者の世界観や先入観によって「世界」を恣意的に切り取ったものだ、という。それは、ジャーナリストの悪意というより、人間の認識そのものの構造なのだ。

 「世界全体」などわれわれは見ることも知ることもできない。せいぜいその一部を切り取るのだが、その切り取り方にすでに先入観が持ち込まれている。こういうのである」とのこと、

 「そして、リップマンが警鐘を鳴らしたのは、疑似的な「事実」をもとにメデイアが作り出す「世論」が現実の政治を動かすからである」とのこと、

 「トランプ氏からすれば、メデイアは最初から偏った報道で世論を作り出している、といいたいのであろう」とのこと、等々を教えてもらった。

 また、「ところで今日、われわれはもはや、トランプ氏と同様、「客観的な事実」などというものを容易に信じられない世界にいる」とのこと、

 「民主主義というものは、客観的で確かな事実や真実などわからないという前提に立っている、それより、人々がそれをどう判断し、どう解釈するかという個人の見解の自由に基礎をおいているのだ」とのこと、

 「だから、古代ギリシャのポリスの民主政治においては、「事実」はどうあれ「説得」する技術を教えるソフィストが大活躍したのである」とのこと、

等々も教えてもらった。

 最後に筆者は「われわれが頼りにすべきものは、「事実」そのものというより、それを発言する人物(あるいはメデイア)をどこまで信用できるか、という「信頼性」だけなのである」との指摘、

 「その信頼性を判断するのは結局われわれ一人一人なのである。」との指摘、

 「われわれにその判断力や想像力があるかどうかが政治の分かれ目になるであろう」との指摘、等とはその通りだと思った。
 そして、その素養を涵養するのが、やはり新聞であることに難しさがある、と思った。

 

 

 


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by sasakitosio | 2017-03-07 07:06 | 朝日新聞を読んで | Trackback