憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

嗤われたら笑い返せ < 嗤われっぱなしでは、情けない!国民の代表だぜ! にやりと笑い返し、権力者をたしなめる「野党議員」が一人でも欲しいなあ!>

2月19日付朝日新聞朝刊4面に、「政治断簡」という欄がある。筆者は、政治部次長・高橋順子氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「類は友を呼ぶ。

 日米首脳会談から1週間余、この言葉を噛みしめている。脳内BGMは「世界は二人のために」。

 どこへ行くのかあなたと2人、厚遇、おべっか、ナイスショット。

 2人は「嗤う」が板についているという点では「類」だと私は思っている。

 人をバカにしたり見下したりは誰しもついつい普通にあるが、それと「嗤う」ではステージがちがう。

 あざけって、わらう。

 さげすんで、わらう。

 なかなかできることではない。ある意味才能。ほめてないけど。」と切り出した。

 続けて筆者は、「1月26日、衆院予算委員会。民進党の大西健介氏が質問をしている最中、ツツーと安倍晋三首相が退席した。

 え?なに?トイレ?騒然とする委員室。

 やがて戻ってきた首相は、ズボンをすり上げるしぐさに続き、両手を挙げて伸びをして、閣僚からドット笑いが起きた。

 国会審議を軽んじている。

 カリカリと質問する野党議員を見下し、嗤っているーーー。

 「真意」はこの際関係ない。

 権力者の言動はそれ自体がメッセージだからだ。

 ああ。心がザラザラする。

 お前は無力だ、お前のやることには何の価値もないというメッセいージを、まんまと感受してしまった。

 嗤われる側はそうやって少しずつ気力をそがれ、政治のダイナミズムは失われる。

 もちろん逆に、嗤う権力者を痛快で頼もしいと感じる人もいるだろう。

 だが、嗤いは嗤いを、軽蔑は軽蔑を招き、社会はすさむ。

 そう。俳優のメリル・ストリーブさんが先月、ゴールデングローブ賞の授賞式で、かの大統領を念頭にスピーチしたようだ。

 「衝動的に人を侮辱するパフォーマンスを権力のある人が演じれば、あらゆる人たちの生活に影響が及び、他の人たちも同じことをしてもいいという、ある種の許可証を与えることになるのです」」と教えてくれる。

 さらに筆者は、「嗤われるのは。数の力という「現実」に抗し、理念や理想を語る者。

 所与の現実から最大限の利益を得ることに腐心する「現実主義者」にとって、理想なんて1円にもならないキレイゴトだから。

 しかしーー。現実ってなんだ?

 「現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。

 現実的たれということは、既成事実に屈服せよということにほかなりません」(丸山真男「「現実」主義の陥穽」)

 そのように捉えられた現実は、容易に「仕方がない」に転化する。こうした思考様式がいかに広く戦前戦時の指導者層に食い入り、日本の「現実」を泥沼に追い込んだか。

 丸山はこう、言葉を継ぐ。

 「ファシズムに対する抵抗力を内側から崩していったのもまさにこうした「現実」観ではなかったでしょうか」

 既成事実への屈服が、さらなる屈服を生む。

 対米追従は仕方がない。

 沖縄に米軍基地が集中するのは仕方がない・・・。

 現状追認の無限ループ、そんな「仕方ない帝国」に生きていて楽しい?

 嗤われたら笑い返せ。

 現実は「可能性の束」だ。

 私もあなたも一筋の可能性を手に、この世に生まれてきたのだ。」として締めくくった。

 高橋従子氏は相変わらず、威勢がいい。読んで面白かった。

 「嗤われたら笑い返せ」は、日々の生活に実践したい。ただし、にやりと笑い返したい。「嗤う」権力者の無知蒙昧をそっと諭すように。

 ためには、知性的にも、経験的にも、精神的にも、かなりの高みに「存在」していることが、不可欠だ。

 国会での質問者に、期待したいが、ないものねだりかもしれない。

 既成事実を飲み込み、踏まえて、既成事実での利得者も被害者も、賛成者も反対者も、納得できる「提案」を、筆者も含めた「日本の有識者」の皆さんに期待したい。手遅れや想定外などという言い訳を聞きたくないので!

 

 


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by sasakitosio | 2017-02-19 17:32 | 朝日新聞を読んで | Trackback