憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

広がる「ポスト真実」 事実軽視 まるで中世< 客観的事実よりも、人々の感情や主観のほうが、世論形成に大きな役割を果たす政治状況?今、世界中で?この先、どうなるの!?>

2月17日付朝日新聞朝刊17面に、「月刊安心新聞」という欄がある。筆者は、千葉大教授・神里達博氏だ。 

今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「南スーダンで国連平和維持活動(PKO)に従事している自衛隊の日報に、PKO5原則に抵触する可能性のある「戦闘」の文字があることが判明した。

 防衛大臣は、これは法的な意味の戦闘ではなく、また国会答弁では、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから「武力衝突」という言葉を使っていると、応じた。

 かっての日本ならば、一気に政権が揺らいでもおかしくないほどの事件にも見えるが、現状としては、そこまでの緊迫感はないようだ。

 もちろん与党が安定的に多数を占めているとか、内閣支持率自体が高いといった要因もあろう。

 国際情勢の変化に対する不安から、安全保障については新しい考え方で臨むべきだ、という世論が強まってるのも感じる。

 そういった政治的背景について考えていけば、この奇妙な雰囲気を説明できるかもしれない。

 だが、果たしてそれだけが理由なのだろうか。

 かっての名門企業「東芝」が今、存亡の危機に瀕しているのは周知のとおりである。なぜそこまで追い詰められたのか。理由は重層的だろうが、何よりも、経営状態についての「事実」が共有されておらず、むしろ長年にわたって隠蔽されてきたことが問題の本質であろう。

 このような、事実を事実として受け入れず「字面の書き換え」でつじつまを合わすという悪弊が、実は私たちの社会のさまざまな領域に広がっているのかもしれない。

 その結果いつの間には本当に守らなければならない規則が忘れられ、ついに大惨事に至るというケースもある。

 1999年に起きたJCO東海事業所・核燃料加工施設での臨界事故はまさにこのようなルールの逸脱が重畳した結果、起きた悲劇であった。

 核物質という、最も緊張感をもって向き合うべきものが、日常のとるに足らないルーチンにまで転落していたのである。」と切り出した。

 続けて筆者は、「ところが、この「事実軽視」という事態は、今や日本だけの問題でもないらしい。

 オックスフォード出版局が、2016年に最も注目された言葉として挙げたのが「ポスト トウルースPost-truth(ポスト真実)」であった。

 これは客観的な事実よりも、人々の感情や主観の方が、世論の形成に大きな役割を果たす政治状況のことを意味する。

 英国が欧州連合(EU)離脱を決めたことや、事実でないことを盛んにツイートしたトランプ陣営の勝利の背景には、この共通の状況があるというのだ。

 政治が言葉を軽視するのは今に始まったことではないかもしれない。

 ただ、先進諸国で同時多発的に、かなり真正面から「事実」が無視され、しかもそのことを多くの人々がさほど気にもとめないという状況は、かってあっただろうか。

 だがスコープを少し広げてみらば、その言うな時代が過去に存在したことに気づかされる。

 中世後期に書かれた「健康全書」という本がある。

 先進地域であったアラビア世界にける養生法の書をラテン語に翻訳したもので、図版が豊富なことでも知られる。その中に、「マンドラゴラ」という植物の記述がある。

 これは根のところが人間の形になっており、引き抜くと恐ろしい声で叫び、聞いたものを死に至らしめると説明されている。ビジュアル的な強烈さゆえか、最近は漫画やゲームなどの世界でも、この怪しい植物をモチーフとしたキャラクターが登場することがある。

 当然、現実には存在しない生物なのだが、驚かされるのは、これがキャベツやホウレンソウなど、普通の植物の記述と並んで記載されていることだ。

 ここから見えてくるのは、対象が実在するかどうかではなく、集合的な主観において、リアリティーを共有できるかどうかだったのではないか、ということだ。

 実際このほかにも、悪魔や魔女について詳説された「悪魔大全」という書籍、また運動についてあれこれ考察しているのだが、実際・観察に基づかないために科学として成立していない記述など、事実性が重視されない中世の文献は多々見つかる。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「長い間、中世は暗黒の時代であり、非合理と迷信が支配していたという理解がなされてきた。

 こらは自らが生きる「近代の価値」をことさら称揚する立場から書かれた。歪曲された歴史記述だったという面もあろう。

 だが、いつの間にか私たちが生きる時代が、むしろ中世に似てきているということではないだろうか。

 「ポスト真実」が、ツィッターなどのSNSで広がったことも、「中世化」と符合するだろう。情報化によって私たちはすでに、現実に存在する世界ではない、電子的な記号システムの体系に、リアリティーを感じるようになっている。

 昨年話題になったゲーム「ボケモンGO」のように、仮想空間にモンスターが跋扈し、それを生身の人間が追いかけるという現象も、現実が重視されなくなっているという点では、地続きなのかもしれない。

 私は以前から、この時代は近代性が弱ってきて、いずれ中世に逆戻りしてしまうのではないかという不安を感じてきた。杞憂だとよいのだが、最近はその傾向が強まっているようにも思える。

 事実の軽視は言うまでもなく、恐ろしい結果をもたらしかねない。大きな時代の潮流にあらがうのは容易ではないが、近代という時代に培ったさまざまなものごとの価値を整理し、改めて確認すべき時期にあるのではないか。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 戦闘を武力衝突という防衛大臣、「かっての日本ならば、一気に政権が揺らいでもおかしくないほどの事件にも見えるが、現状としては、そこまでの緊迫感はないようだ」とに筆者の指摘は、日本社会党が野党第一党のころを知る者にとっては、不思議なほど民進党や日本共産党が「ペット」化してしまったような気がしてならない。

  東芝の存亡の危機の理由は、「何よりも経営状態についての「事実」が共有されておらず、むしろ長年にわたって隠蔽されてきたことが問題の本質だろう」との筆者の指摘、

 「1999年に起きたJOC東海事業所・核燃料加工施設での臨界事故は、まさにこのようなルールの逸脱が重畳した結果、起きた悲劇であった」との筆者の指摘、

 「オックスフォード出版局が、2016年に最も注目された言葉として挙げたのが「Post――truth(ポスト真実)」であった。これは、客観的な事実よりも、人々の感情や主観の方が、世論形成に大きな役割を果たす政治状況のことを意味する」とのこと、

 「中世後期に書かれた「健康全書」という本がある」とのこと、

 「その中に、「マンドラゴラ」という植物の記述がある。」とのこと、

 「悪魔や魔女について詳説された「悪魔大全」問う書籍」があるとのこと、等々を知ることができた。

 筆者は、「事実の軽視は、言うまでもなく、恐ろしい結果をもたらしかねない。」と警告し、

 「大きな時代の潮流にあらがうのは容易でない」とし、

 「近代という時代に培ったさまざまな物事の価値を整理し、改めて確認すべき時期にあるのではないか」と問題提起をしている。

 たしかに、事実を軽視し、思い込みと現実を混同する「人々」が組織の管理・運営者になったら、その組織は破たんするのは必定だ。

 が、多くの人々は「俺の生きている間」、「俺が現役でいる間」は危機は来ないだろうと、根拠のない希望的観測で、不安を忘れた幸せな毎日を送っている。

 具体的な破滅的な危機が現実に訪れ、事実軽視の付けが回ってきたと気づいたときは、もはや手遅れ。

 それが、地球的規模、宇宙的規模でないことを祈るしかないのだろうか? 


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by sasakitosio | 2017-02-18 07:48 | 朝日新聞を読んで | Trackback