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by sasakitosio

100年前の文部省廃止論<高橋是清の「内外国策私見」、表題に「文部省ヲ廃止スルコト」とある!ほんと!>

25日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある、筆者は、編集委員・曽我豪氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「高橋是清(1854~1936)はもちろん、幾度となく戦前の日本経済を救った希代の国際金融政治家である。

ただ、もう一つの顔がある。

 自由主義がもたらす恩恵を信じ、官僚主義や軍国主義と闘った政党政治家のそれだ。

 なかでも面目躍如たるのは、原敬閣の蔵相だった1920(大正9)年に提出した「内外国策私見」だろう。

 第一次世界大戦後の国際協調と大正デモクラシーの時代だった。その変化をとらえ、内閣の統制が及ばない陸軍参謀本部と海軍軍司令部の廃止や、農商務省から農林、商工両省への改編などを意見した。

 そのラジカルさは軍部の反発を恐れた原首相が印刷を指し止めたほどだった。

 後に高橋が蔵相として軍事予算の増大に抗して陸軍若手将校の恨みを買い、2.26事件に倒れたことを思えば、歴史の因縁である。

 だが先見性に富んだ「私見」の射程はそれだけにとどまらない。

 最後の第4項目で髙橋は、「全国画一的」な教育行政を変え、「発奮努力の精神を喪失せしむる」弊害を指摘してこう提言した。

 ――小中学校の施設経営監督は地方自治体に任せよ。大学への国庫補助は必要かもしれなぬ。だが学長選挙も内部行政も文部省の手を煩わせず大学の自治の精神を発揮せよ。官立大学の特典を廃止し私立大学と自由に競争させ学術の発達進歩を計れ。

 文部省は一国にとりて必ずしも必要欠くべからざる機関にあらず。

 結論は表題に明白だ。

 「文部省ヲ廃止スルコト」」と切り出した。

続けて筆者は、「永田町界隈でひどい話はさんざん見聞してきた方だが、今回の文部科学省の天下りあっせん問題は息をのむ。

 言うまでもなくこの役所は、私立大学に対し設置認可など許認可権を持ち補助金を交付する立場だ。利害関係などというのは生やさしく、大学側からみればまさに生殺与奪の権を握る「特権」的な存在なのである。

 にもかかわらず、大学担当の前高等教育局長が早稲田大へ「天下る」よう組織的にあっせんしていた。官製談合事件の反省から改正された国家公務員法の禁止ルールを踏みにじる違法行為である。

 しかも現職の事務次官が審議官だった時にあっせんに関与しており辞任した。

 隠ぺいのため早稲田大に口止めし、口裏あわせの掃討問答集まで用意していた。

 そこまで明るみにでていて、さすがに調査は完全に第三者に任せるかと思いきや、それさえ曖昧だ。

 責任意識の欠如であり、世論に対する鈍感さである。

 次世代の子供たちを育てる教育において、不平等とか特権とか言った問題は、市井の人々の神経を逆なでせずにはおおかない。それは、不正入学問題が大統領引きずり降ろしの街頭デモに火をつけた韓国の例にも明らかだ。

 それでなくとも、この役所の場合、時代の変化と並走しようとする責任意識が感じられない。昨夏の参院選で18歳投票開始に向け、全国で主権者教育の取り組が活発化したとき、この役所は指導書や通知で「教員が個人的な主義主張を述べることは避ける」と繰り返し、注意点や禁止、規制をこと細かく列挙した。

 むろん、極端な政治的支持や反対を教え込む教育は論外だ。だが主権者教育とは、自由な議論と思考錯誤によって最適解を探し出すものだ。その時代的意義より管理を優先させる「べからず集」は結局、学校現場の「発奮努力の精神」を萎えさせるものでしかないではないか。」と指摘した。

 最後に筆者は、「平地に波乱を起こすような廃止論を唱えるものではない。だがこうは思う。

 なぜ今この時代この国において、科学でも文化でも体育でもなく、文部事務を国家が統括する「文部」を頭に冠した役所が存在する必然性があるのか。

 責任を負うべきところで身をかわし、自由に任せるところで管理を持ち出し、特権を慎むところで守ろうとする。

 そうしたちぐはぐな行動様式を改めない限り、その必然性を感じさせることは難しい。

 百年たっても、「必要欠くべからざる機関」であることの挙証責任はほかでもない、文部官僚たちにある。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「なかでも面目躍如たるのは、原敬内閣の蔵相だった1920(大正9)年に提出した「内外政策私見」だろう」とのこと、

 提言に「――小中学校の施設経営監督は地方自治体に委せよ。大学への国庫補助は必要かもしれない。だが学長選挙も内部行政も文部省の手を煩わせず大学に自治の精神を発揮させよ。官立大学の特典を廃止し私立大学と自由に競争させ学術の発達進歩を計れ。

 文部省は一国にとりて必ず欠くべからざる機関にあらず。」とあるとのこと、等々を初めて知った。

 「責任を負うべきところで身をかわし、自由に任せるべきところで管理を打ち出し、特権を慎むところで守ろうとする。

 そうしたちぐはぐな行動様式を改めない限り、その必然性を感じさせることは難しい。

 百年たっても、「必要欠くべからざる機関」であることの挙証責任はほかでもない、文部官僚たちにある。」との指摘は、ものすごくわかりよかった。

 明治以来の官僚機構も、150年もたつと賞味期限キレになっているのかもしれない、と思った。


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by sasakitosio | 2017-02-10 06:33 | 朝日新聞を読んで | Trackback