羞恥心 <一人にすれば死に至るかもしれなくても、女性患者の羞恥心を大切にすべきか?実に悩ましい!?>
2017年 01月 18日
今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「昨年末、ある病院で起きたトイレでの事故が報じられた。
昨年8月、難病の女性が、一人で排泄中、心肺停止し、約1か月後に死亡。
女性は自力で動けず、意識不明の可能性があった。そのため排泄中は付きそう申しあわせていたが、介助に当たっていた看護助手はこれを知らなかった。
その後、新たな事実がわかり、病院が過失を認めたことが伝えられた。
当初は「行った」とされていた5~10分ごとの観察が行われていなかったことが判明。病院は改めて遺族に謝罪した。」と切り出した。
つづけて筆者は、「確かに、この状況なら排泄中の付添は必須だ。心肺停止は防げなくとも、蘇生開始は早かっただろう。関わった人の心中を思うと、こちらまで苦しくなる。
ある場面が頭に浮かんだ。
病棟勤務時代、私は栄養価の高い点滴をしている人のトイレに同伴。付きそう取り決めだったが、恥ずかしいと懇願され、一人にしてしまった。すると、その人は点滴チューブの接続を外し、自分の便を押し込んだ。
数時間後、敗血症が起り、高濃度の点滴はしばらく中止となった。太らないための計画的な行動だった。」と教えてくれる。
最後に筆者は、「確かに、ずっと付き添うべきだった。しかし、出来れば排泄行為は見ないであげたい。今もその気持ちは変わらない。
羞恥心は人間らしい感情だ。
安全の為とはわかっていても、脇に置くのが難しい。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
日常生活に付き添いが必要な「女性患者」に対し、どこまで付き添うか。排泄行為は見られたくないという「女性患者の羞恥心」は、命と同等の価値があるかもしれない。だから、「安全の為とは言っても、脇に置くのは難しい」との筆者の悩みは、良く分かった。
結果、死に至っても、自殺と一緒で、看護人の責任は問えないような気がした。