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by sasakitosio

上野村の正月<手賀沼の正月、カモメもハクチョウもシラサギもコサギもアオサギもコガモも、元気だぜ!>

 1月8日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という欄がある。筆者は、哲学者・内山節氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「私がはじめて群馬県の上野村で正月を過ごしたのは、1970年代に入った頃のことだった。当時この山深い山村に舗装道路はなく、凍結した細い道で車をすれ違わせるのは、結構大変だった。
 元日の朝、村の有線放送のスピーカーから、村長の挨拶が流れた。当時は高度で成長の真っ盛りである。
 しかし村長のあいさつの方向性は違っていた。
「焦るな」と村長は呼びかけていた。 
 「経済成長に乗ろうとして焦って、村を壊してしまったら何にもならない。それよりも村の自然を守り、村の共同体を守り抜こう。 そうすれば必ず上野村は日本のトップランナーになる日が来る」
 このあいさつを聞いて、私は面白い村長がいる村だなと思ったものだった。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「村の正月に都会に出ている子どもたちが帰ってきて、どの家も賑やかがった。両親たちは都会で「成功」している子どもたちというのが自慢で、多くは村に帰って来るのを望んではいなかった。
 ところが10年もして80年代に入ると雰囲気が変わってくる。
 都会の仕事や暮らしが、それほどよいものではないということも分かってきたし、両親たちは村の暮らしの良さを感じるようになっていた。
 収入は決して多くはないが、お金で買えない良さが村にはある。自然、共同体、村の歴史や文化、そういうものと結ばれながら暮らす安心感が、村の暮らしの中にはある。
 その頃、都会の若者が村に移住し始めたことも大きかった。
 観光客として村にきて、「都会より村の方がいい」と言いながら都会に帰っていく人は以前からいたが、村で暮らすことを希望する若者が表われ、増えていったのである。村人たちも時代の変化を感じないわけではなかった。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「いまでは上野村の人口の約2割が移住者である。そのうち、半分くらいになるだろう。元からの村人が持っている技や知恵と、移住者たちの能力がうまく結び合えれば、力のあるむらづくりができるかもしれない。
 一昨年の村の中学生に対する意識調査では、「将来何処で暮らしたいか」という質問に対して、全員が「上野村」と答えている。
 自然と共同体を守り、その世界に新しい人たちも迎え入れる。
 その成果が、こんな形でも現れているのである。
 今年も上野村の正月は落ち着いた時間とともに流れていった。
 葉が落ちた森の木々の間から青空が見え、親たちも返ってきた子どもたちも村の正月を楽しんでいる。
 はじめてこの村にでかけたころのように、都会で「成功」している子どもを自慢するという雰囲気もなくなった。
 これからも村を守っていこうという空気が上野村の正月に広がっている。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「私がこの村で正月を過ごすようになって半世紀近くが立つけれど、この間に人々の気持ちは随分変わったのである。
 自然とともにある暮らしや、結び合って生きる社会が憧れになったという変化もあった。
 その一方で非正規雇用や格差が拡大し、都会の暮らしの厳しさも増していった。
 国内総生産(GDP)を増やすより、豊かな森や川、海が合った方がいい。
 自然とともに生きようとすれば、その方が豊かな暮らしができるからだ。
 自然に助け合える社会があれば、孤立して生きる不安から逃れることができる。
 いまでは多くの人たちが、そういう世界を求めるようになってきた。」として締めくくった。
 高度経済成長の真っ盛りに、村長の元旦の挨拶がユニークだ。
 「経済成長に乗ろうとして焦って、村を壊してしまったら何にもならない。それよりも村の自然を守り、村の共同体を守り抜こう。そうすれば必ず上野村は日本のトップランナーになる日が来る」との挨拶は、今でも通用する立派なものだったと思った。
 筆者は「国内生産(GDP)を増やす事より、豊かな森や川、海があった方がいい。
 自然とともに生きようとすれば、その方が豊かな暮らしができるからだ。
 自然に助け合える社会があれば、孤立して生きる不安から逃れることができる」という。そのとおりだと思った。
 しかし、都市と自然が隣接する「手賀沼を毎日散策する今の暮らし」も結構いいものだと、自分では満足している。
 
 
 
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by sasakitosio | 2017-01-10 06:54 | 東京新聞を読んで | Trackback