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憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

「強い国は」ごめん<「国だけ強く、権力だけ強い」そんな国はごめんだな!国民が幸せで強くなければ!!>

 12月31日付東京新聞朝刊1面下に「「戦える国」に変質 言わねばならないこと 」という欄がある。
 筆者は、ジャーナリスト・関千枝子さんだ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「1944年、12歳の時に父の転勤で広島に引っ越した。原爆投下の朝、高等女学校のクラスメートは、空襲の際に火災が広がらないよう事前に建物を取り壊して大通りをつくる「建物疎開」に動員されていた。爆心地から1キロの場所で、奇跡的に助かった友達1人以外は全滅だった。
 私はお腹を壊して自宅で寝ていた。やすんだら非国民と言われるから「行く、行く」と言ったが、母が絶対に行くなって。父が玄関で出かける準備をしていた時、ピカッとすごい光。
 天井、欄間がガラガラと落ちて来て、台所で皿を洗っていた母と抱き合った。その瞬間は忘れない。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「戦後先生から新しい憲法の話を聞き、「戦争放棄」という言葉がうれしかった。
 クラスメートが生きていたらと、痛切に思った。
 文化やスポーツも復活して楽しかった。
 校舎もなく、仮教室だったけど、笑ってばかりだった。
 「男は命を惜しまず、戦争に行け」
 「女は、夫や子供の命を差し出して誉れだ」と思わされていたが、
 「戦争は民を不幸にするだけ」
 「戦争に強いのがいい国じゃない」と実感した。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「安倍晋三首相は安全保障関連法を「戦争法」と言われると、「平和を願っている」と怒るが、結局は「強い国」にしたいのだろう。
 もう強い国なんて御免だ。
 そう思って安保法で精神的苦痛を受けたと、8月に東京地裁に訴えた女性106人の原告団に加わった。
 首相の「積極的平和主義」も信用ならない。
 昭和の初め、日本は「東洋平和のために」と中国に侵略した。
 中国人を一人でも多く殺せば、日本は平和でいい国になると、みんな平気で言っていた。
 国の政策はあてにならない。
 だから「平和」ではなく「不戦」と言おうと呼びかけている。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
 「戦後、先生から新しい憲法の話を聞き、「戦争放棄」という言葉がうれしかった」とのこと、
「「男は命を惜しまず戦争に行け」 「女は、夫や子供の命を差し出しても誉れだ」と思わされていたが、「戦争は民を不幸にするだけ」「戦争に強いのがいい国じゃない」と実感した」とのこと、
 「昭和の初め、日本は「東洋平和のために」と中国を侵略した。中国人を一人でも多く殺せば日本は平和でいい国になると、みんな平気で言っていた」とのことを、知ることができた。
 私は戦中に生まれ、憲法が施行された時数え年5歳だった。大人がこれからは皆平等だと言っていたことの記憶がある。兄貴と俺は平等だ、となんかうれしかった。まだ、戦争放棄の有り難さはわからなかった。それを知ったのは、大学で憲法の勉強を始めてからだった。当時自衛隊は存在していた。綱領を取り寄せてしらべたら、自由民主党、日本社会党、公明党、日本共産党の中で日本社会党だけが「自衛隊は違憲」だとしていたので、それ以後日本社会党を気持応援してきたが。 
by sasakitosio | 2017-01-09 18:05 | 東京新聞を読んで | Trackback