憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

「体罰」本音で対話を<息子を「叩いたことは」ない、わけを聞いて親の「心配と期待を」伝えただけだ!>

12月25日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という欄がある。筆者は、関西学院大学准教授・貴戸理恵氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「2012年12月、大阪市立桜宮高校の男子生徒が体罰を苦に自殺した。
 事件から4年がたつが、教育における体罰は、いまもやまない。
 最近では日本大東北高校の相撲部で、20代の男性顧問が、部員をゴム製ハンマーで殴るなど暴力を振るっていたと発表された。
 今月の初めにも、大阪市の中学校女子バレーボール部の顧問による部員に対しての髪の毛を引っ張る・蹴るなどの暴力行為が発覚したばかりだった。
 体罰批判の声は高く、体罰が発生する「土壌」についての分析もなされている。
 たとえば、スポーツ強豪校の勝利至上主義や、体罰を受けた側が振るう側に回る暴力の連鎖、内面の成鳥より表面的な規律正しさを重視する教育など、重要な指摘は多い。
 しかし、そうした「正しい批判」にもかかわらず、体罰事件は繰り返される。
 背景の一つに、体罰批判を「タテマエ」として受け入れつつも、「ホンネ」の部分ではそれを容認する人々の態度があるように思う。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「桜宮高校の事件を受けて産経新聞が体罰に関する世論調査(13年)では「場合によっては仕方がない」が57.9%で「一切認めるべきではない」の40.35を上回った。
 ここでは、体罰の完全禁止を「現実的でない」とみなす生活者の視点が示されている。
 ただ、人々が何を「体罰」だと思っているかは、さまざまでありうる。
 「場合によっては仕方ない」と容認する人も、けがや死亡につながるような体罰まで肯定するわけではないだろう。
 体罰容認派の念頭には、次のような現場主義的な問いがあるかもしれない。
 「暴力を振るう生徒を押さえつけて制止させる場合も体罰になるか」
 「宿題を忘れて正座させるのもだめかなのか」
 実は、これには既に答えがある。
 文部科学省は認められる「懲戒」と禁止されるべき「体罰」の境界を、参考事例付で解説しているのだ(学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する参考事例)。
 それによれば、暴力制止のケースは「正当行為」として認められる(―体罰ではない)が、正座は生徒が苦痛を訴えた後も続けさせれば体罰になる。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「体罰を肯定・否定する以前に、「何が体罰にあたるか」を知識として共有しておく必要がある。
 すべて教師・指導者は、非常勤やボランティアで指導に携わる者も含めて「教育現場で何が許されないのか」を研修によって学ぶことが徹底されるべきだろう。
 とはいえ現実には「何が体罰か」の境界は常に曖昧でありうる。
 曖昧さを前提にして、その都度対応するしかない。
 だから、研修以上に重要なのは、教師・親が「体罰」に関して持っている個々の考えを率直に話し合える関係・場をつくることだ。
 職員会議やPTAで、私たちは「体罰」について語り合えるだろうか?
 「ホンネ」の意見を言いつつ信頼関係を維持・形成しているだろうか?
 体罰は悪い。
 それがいかに正しくとも、正論を繰り返すだけでは「ホンネ」としての体罰容認論は残り続ける。
 過半数が体罰を受容するこの社会で、大人である私たちが変わっていくために、異なる意見を持つ人との対話を通じて自らを見つめ直す機会が求められる。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 体罰が発生する土壌についての分析もなされている」とのこと、
 「スポーツ強豪校の勝利至上主義や、体罰を受けた側が振るう側に回る暴力の連鎖、内面の成長より表面的な規律正しさを重視する教育など重要な指摘は多い」とのこと、
 「体罰を肯定・否定する以前に何が体罰に当たるか」を知識として共有しておく必要がある。」との指摘、等々、それぞれ考えさせられた。
 そして、戦争が絶対悪のように、体罰は絶対悪、すなわち言い訳の許されない悪、ととらえたい。緊急避難や正当防衛に当たることはそもそも「体罰」とは言えないと思った。
 
 
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by sasakitosio | 2016-12-28 06:15 | 東京新聞を読んで | Trackback