憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

書いて 消して 潜って <「決められる政治、政権交代可能な二大政党制」のなれの果て?カジノ法案!>

 12月11日付朝日新聞朝刊4面に、「政治断簡」という欄がある。筆者は、政治部次長・高橋純子氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「時代が変わる時、言葉は追いつかないものなのか。
 言葉が追い付かないことを、時代が変わるというのか。米大統領選後の言論は、総じて不調を来しているように思う。
 なぜなら・・・なーんて。
 つい話を大きくしてしまったが、要は私、書きあぐねています。
 言いたいことはたくさんあるのに、世界が混沌とし過ぎていて、手持ちの言葉で間に合わない感じ。
 書いては消し書いては消し、何とかしなければという焦燥と、もう何ともならないのではという諦念が複雑に交錯する。
 世界的潮流としてある「反規制政治」「反エスタブリッシュメント(既得権層)」。
 日本政治の傾向として極めて顕著な「「1強」のおごり」「だらしない野党」。
 どれもその通りだと思う。
 ただ、それらの言葉の枠に寄りかかり過ぎて、「わかった気」になるのは嫌だ。
 新聞記事は分かった気にならないと書けない面がある。
 日々の出来事を分類し、枠に入れて提示しなければ情報として機能しないから。
 逆に言うと、情報として機能させるために、枠からはみ出る部分は「なかったこと」にすることもある。
 「どうしてこんなことになったんだ!」と後に驚かされる事象は往々にして「なかったこと」の累積から発芽している。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「カジノ法案をめぐるいまの国会の様相は、その一つの亜種かもしれない。
 衆院内閣委員会の5時間33分という審議時間。
 トップバッターとして質問にたった自民党議員が唱えた般若心経。
 人の不幸を収益にしていいのかという倫理は等閑視され、投資と雇用が生まれる、他国もやっている、収益で依存症対策をやればいいなどと、金目の話に矮小化される。
 政治って、人の不幸をできるだけ小さくするためにあるんじゃないの?
 誰かの不幸が前提の経済成長って何?
 根源的な議論はされずに賛成多数、一丁上がり。
 これぞ「決められる政治」の成れの果て。
 「政権交代可能な二大政党制」の成れの果てともいえる。かって気軽に便利に使っていた言葉に報復されている、そんな気すらしてくる。」と指摘した。
 最後に筆者は、「言葉は安易に振り回さない方が良い。分からないものはわからない、難しいことは難しいと言いながら、深く潜って、言葉を捕まえた方がいい。
 さて、どこに潜れば? 
 一つ心当たりがある。
 「「今日の惨めさ」を、「明日のもしかしたら」にすり変えていく、その人々の志向のの中に、ファシズムの芽が育まれる」(田中美津「いのちの女たちへ」)
 いつしか私たちは「明日のもしかしたら」を為政者に委ねてしまってはいないか。
 自分の惨めさを引き受けることから逃げて、鼻先に「もしかしたら」のニンジンをぶら下げられ、為政者のために走る馬に成り下がっていないだろうか。
 この国の、自分自身の惨めさの中に潜って、言葉をつかみとりたい。
 それは「明日のもしかしたら」を自分自身のものにするための糸口となるはずだ。」として締めくくった。
 読んで、筆者の誠意と、深い思考を感じた。
 特に「政治って、人の不幸をできるだけ小さくするためにあるんじゃないの?誰かに不幸が前提の経済成長って何? 根源的な議論はされずに賛成多数、一丁上がり。これぞ「決められる政治」の成れの果て。政権可能な二大政党制」の成れの果てともいえる。」との指摘、
 「かって気軽に便利に便利に使ってきた言葉に報復されている、そんな気がする」との指摘、は筆者の書き手としての「良心」を感じて、いいなあと思った。
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by sasakitosio | 2016-12-15 08:06 | 朝日新聞を読んで | Trackback