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by sasakitosio

「希望」か「残忍な独裁者」か<カストロ、600回以上の暗殺を潜り抜けて天寿を全う!なぜだろう!?>

 12月4日付東京新聞朝刊社説横に、「太郎の国際通信」という欄がある。
 筆者は、ジャーナリスト・木村太郎氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「1961年4月17日、私は米国のフロリダ州マイアミ市にいた。
 大学を休学し国際会議の手伝いの様な事をしていたのだが、暇を見つけてはホテルのプールで過ごしていた。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「この日ものんびりと日光浴をしていると、隣でラジオを聞いていた米国の友人が突然叫んだ。
 「戦争だ!」 
ラジオは、キューバに反カストロ派の兵士が上陸し政府軍と激しい戦闘を繰り広げていると伝えてきた。
 後に「ピッグズ湾事件」と呼ばれるカストロ政権転覆を図った米国の中央情報局(CIA)の隠密作戦が開始されたのだった。
 キューバはフロリダ州南端の沖合150キロにある。マイアミ市からは見えるはずもないのだが、浜辺に出て沖合に目を凝らしラジオの戦況報道に耳を傾けたことを忘れない。
 しかし、その興奮は長くは続かなかった。上陸を図った部隊は政府軍に圧倒され、二日後には降伏して投降し作戦は大失敗におわった。
 当時の米国は、ケネデイ大統領が誕生したばかりだった。
 圧倒的な経済力と軍事力を背景に新たな若き指導者を得て、米国民は自信に満ちているように見えた。その米国が、小さな島国のキューバに手も足も出せなかったことは信じられない思いだった。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「フィデル・カストロってどんな人物なんだろう?」
 こんな思いに駆られてこの時帰国するのをやめ、さらに1年間大学を休学して南米を回ることになった。
 各地で出会った若者たちは、例外なく目を輝かせてカストロ議長(当時)への崇拝を口にした。
 ペルーの古都クスコでラジオのDJをしていた大学生は「カストロこそがラテンアメリカの希望だ」とマイクに向かって情熱的にしゃべっていた。
 こうした若者の中から、後にニカラグアでサンディニスタ革命を成功させたオルテガ元大統領や、ベネズエラでCIAに支援されたクーデターを跳ね返したチャベス元大統領、さらに「世界で最も貧しい大統領」といわれたウルグアイのムヒカ大統領ら中南米の革命的指導者 が生まれたのだ。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「一方、米国にとってカストロ前議長は「目の上のたんこぶ」のような存在だったに違いない。
 CIAや亡命キューバ人勢力などによる暗殺計画は少なくとも600回はあったとCNN放送は伝えている。
 結局、カストロ議長は天寿を全うしたわけだが、その革命以来米国では11人の大統領が交代した。
 12人目になったはずのトランプ次期大統領は「残忍な独裁者が死去した」との声明を発表しており、オバマ大統領の関係改善路線を修正するかもしれない。
 「死せるカストロ,生けるトランプをはしらす」のか?」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「1961年4月17日、筆者が米国フロリダ州マイアミ市にいた」とのこと、
 その時「後に「ビッグズ湾事件」と呼ばれるカストロ政権転覆を図った米国の中央情報局(CIA)の隠密作戦が開始された」とのこと、
 そして、「米国が、小さな島国のキューバに手も足も出せなかったことは信じられない思いだった」とのこと、「各地で出会った若者たちは例外なく目を輝かせてカストロ議長(当時)への崇拝を口にした」とのこと、
 「CIAや亡命キューバ人勢力などによる暗殺計画は、少なくとも600回はあったとCNN放送は伝えている」とのこと、等等を初めて知ることができた。
 CIAなどによる「600回もの暗殺計画」があったもカストロは天寿を全うできたことは、どのように考えればいいのだろうか。
 アメリカが民主主義の国であったことと、カストロ氏が国民から圧倒的に支持され、それが天寿まで継続できた「偉大な魂」だった、と思いたい。
 
by sasakitosio | 2016-12-06 06:23 | 東京新聞を読んで | Trackback