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憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

「新たな戦死」を憂いながら <邦人の死傷に誰が責任をとるの!総理、防衛大臣、外務大臣か!??>

 11月27日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は、編集員・福島申二氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「先週の日曜、南スーダンに派遣される自衛隊の部隊が家族らに見送られて青森空港をたって行った。
 小さな子を連れた隊員の妻や、ご両親とおぼしき人が目についた。
 悲壮感という程のものは感じない。だが「駆け付け警護」などの新任務、すなわち未知のリスクを負っての出発である。
 ハンカチで目を抑える人の意外に多いのをみると、ふと「昭和万葉集」の収められた先の戦争中の一首が脳裏に浮かんだ。
 <生きて再び逢う日のありや召されゆく君の手をにぎる離さじとにぎる> 下田基洋子さんという人の歌で、「夫を送る」という項目の中にある。
 もちろん自衛隊は戦争に行くのではない。時代も違う。何を大げさな、と思う向きもあろう。
しかしながら大切な人を危地に送る心は万葉の防人の昔から、時代や状況をこえて深いところでつながっているように思われてならない。
 屋上の見送りデッキで、息子さんが派遣される60代の女性と話をした。
 「ご心配じゃないですか」
 「そりゃねえ、これまでは訓練が仕事のように思ってましたけれど」
 「息子さんは何と」
 「心配しないで嫁と子供をよろしくって、笑って行きました。」
 その人はポケットテッシュを取り出して目の下を拭っていた。息子の妻と幼い2人の子も一緒に手を振った。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「当たり前のことだが、遠目にはいかめしい実力組織も、近づけば一人ひとりの隊員と家族の情にあふれた集合体であることにあらためて気づく。
 戦闘に巻き込まれないか。隊員の血が流れることはないのか。新任務を付与されての派遣には、これまでになく懸念と批判が強い。南スーダンは事実上の内戦状態とされ、一触即発が危ぶまれる。
 悪い創造などしたくはない。だが、もし現地から戦闘に陥ったと急報が届いたら、日本の社会はどんな反応をするだろう。長く不戦を保つこの国で、同胞が撃ち、撃たれる局面は絶えてなかった。
 さらに、それによって「戦死者」が出たときに、国内の衝撃と動揺を思ってみる。
 メディアについて言えば、情動的な報道であふれることは想像がつく。死者を「英霊」のように称揚する声が湧くかもしれない。
 感情が理性を圧するような空気も想定できる。そして「戦後」と呼ばれた時代は、名実ともに終焉する。
 これまで私たちにとって、戦死といえば「過去の死」については想像することを拒み、議論を避けてきた感が強い。
 そのツケが噴き出すことが怖い。集団的自衛権の容認など、今の政権のもとで国のかたちは変容している。地球規模での他国軍支援も可能になるなか、殺さず殺されなかった歳月と誇りは、いまや風前の灯のように揺れている。」と指摘した。
 最後に筆者は、「戦闘とはどんなものなのか。青森空港にほど近い県立美術館で偶然、地元出身の報道カメラマン故・沢田教一の回顧展が開かれていた。
 沢田はベトナム戦争の写真で名高い。
 戦闘に肉薄する写真からは硝煙の臭いまで漂うようだ。ゆがみ、おののく兵士の、精神と肉体の極限で耐える顔が胸に突き刺さってくる。
 南スーダンはむろん当時のベトナムとは違うが、7月には自衛隊の宿営する首都ジュバで大規模な戦闘があった。安倍政権は「戦闘」でなく、法的には「衝突」だという。言葉を弄しても、ことの実態が変わるわけではない。
 「南スーダンはですね、例えば我々が今いる永田町と比べればですね、はるかに危険な場所」と国会で答弁した安倍首相だった。稲田防衛相はわずか7時間の滞在視察で、現地が落ち着いていることを確認した、という。
 軽くて、説明責任に不誠実で、前のめりな永田町こそが、自衛隊員の命を脅かす「危険な場所」になりかねないことを危ぶむ。
 「戦死」の不安を家族だけが引き受け、他は人ごととして安らいでいては、その危険は助長されるばかりだ。不安を「私たちの不安」としたい。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「昭和万葉集」に収められた先の戦争中の一首に「生きて再び逢う日のありや召されゆく君の手をにぎる離さじとにぎる」という詩があること初めて知った。
 筆者の「これまで私たちにとって戦死といえば「過去の戦死」だった。さまざまに語られ、論じられてきた。だが、起り得る「新たな戦死」については想像することを拒み、議論を避けてきた観が強い」との指摘、
 「軽くて、説明責任に不誠実で、前のめりな永田町こそが、自衛隊員の命をおびやかす「危険な場所」になりかねないことを危ぶむ」との指摘、
 「「戦死」の不安を家族だけが引き受け、他はひとごととしていて安らいでいては、その危険は助長されるばかりだ」との指摘、等等はよく理解出来た。
 そこで、南スーダンで、日本国民の戦死者が出た時は、派遣したした人々の責任を、声高に言い募らなければ、と思った。
by sasakitosio | 2016-12-02 06:21 | 朝日新聞を読んで | Trackback