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by sasakitosio

保守とは何か 奇っ怪 米重視で色分け <フランスでは保守は抵抗勢力?革命派がリベラル(左派)?>

 10月7日付朝日新聞朝刊15面下に、「異論のすすめ」という欄がある。筆者は、京都大学名誉教授・佐伯啓思氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「産経新聞のインタビューの中で「私はバリバリの保守だ」といった蓮舫氏が民進党の代表になっている。
 大きく分ければ自民党は保守、民進党はリベラル、と言うのが世間の通念であり、蓮舫氏は、自分は保守の立場も理解できる,といいたかったかったのかもしれない。
 しかし、実は、保守もリベラルもなかなか理解しづらい言葉なのである。
 われわれは今日の政治を色分けするさいに、つい保守とリベラルといった対立を作り出してそれに寄りかかってしまうのだが、本当にそんな対立があるのだろうか。
 たとえば、しばしば安倍首相は保守色の強い政治家だ、などといわれる。同じ自民党でも、先日亡くなった加藤紘一氏はリベラルだとされる。それでわれわれはつい何かを理解したつもりになってしまう。しかし、今日の日本にはリベラルはおろか、保守と言う確かな思想が存在しているのだろうか。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「そもそも「保守」とは何か。
 今日の日本では、「保守」が政治権力を掌握し、これに対して、「リベラル」がその対抗勢力であるかのように語られる。しかし、もともとは「保守」の側が抵抗勢力であった。
 フランス革命が生み出した自由。平等、人権などの普遍性を唱え、それを政治的に実現すべく市民革命によって権力を掌握した革命派がリベラル(左翼)であり、それに抵抗して、伝統的社会秩序や伝統的価値観を重視したのが保守である。
 イギリスの政治家であったエドマンド・バークが保守思想の父と呼ばれるのは、彼が、フランス革命が掲げた革命的な社会変革や人権などの抽象的理念の普遍性を批判したからである。
 改革は漸進的で、その社会の歴史的構造に即したものでなければならない、と彼は述べた。
 なぜならば、人間は既存の権威を全面的に否定して、白紙の上にまったく新しい秩序を生み出すことはできないからである。
 人間の理性的能力には限界がある。
 それを補うものは、歴史の中で作り上げられた慣習的秩序や伝統の尊重である、という。これが、本来の保守であり、いまでもイギリスに強く根を張っている。
 ところが、近代社会は,系譜的にいえば、フランス革命の革命派の流れの上に成立した。つまり、自由、平等、民主主義、人権主義などの普遍性こそが近代社会の基本理念になってしまった。
 これをリベラルというなら、近代社会はリベラルな価値によって組み立てられている。
 「保守」はいわばリベラルの暴走をいさめる役割を与えられたのだ。
 ところが話が混沌として来るのは、アメリカが現代世界の中心に躍り出てきたからである。いうまでもなく、アメリカは王制というイギリス政治の政治構造や伝統的価値を否定して革命国家を作り出した。
 「独立宣言」にもあるように、その建国の理念は、個人の自由や平等や幸福の追求の権利をうたっている。
 その結果、もしも、アメリカの建国の精神という「伝統」に戻るなら、そこには、個人の自由、平等、民主主義など「リベラル」な価値が見いだされることになる。
かりに、伝統への回帰を「保守」というならば、アメリカの「保守」とは、自律した個人、自由主義、民主主義、立憲主義、などへ立ち戻ることである。
 ここに宗教的・道徳的価値をつ加えればよい。
 これに対して、「リベラル」は、20世紀の多様な移民社会の中で、文化的な多様性と少数派の権利を実現するような一つの共同社会としてのアメリカを構想する。
 ここに、イギリスなどと異なったアメリカ型の「保守」と「リベラル」の対立が生まれた。
 ということは、本来のヨーロッパの「保守」からすれば、アメリカは自由・民主主義という普遍的な理念の実現を目指す「進歩主義」の国というほかない。
 伝統を破棄して革新的な実験に挑むことが「進歩」だとする意識がアメリカには強い。
 こうした進歩主義を警戒するのが「保守」だというなら、アメリカには本来の意味での「保守」はきわめて希薄である。」と指摘した。
 最後に筆者は、「さて、それでは日本はどうなるのか。われわれは、アメリカとの同盟を重視し価値観を共有する者を「保守派」だという。
 安倍首相が「保守」なのは、まさしくアメリカとの同盟重視だからだ。
 するとどうなるか。
アメリカと強調して自由や民主主義の世界化を進め、たえざる技術革新によって社会構造を変革することが「保守」ということになる。
 これは全く奇怪な話であろう。
 第4次産業革命にせよ、急進的改革を説くのが「保守」だというのだ。
 もともと既成秩序の破壊、習慣や伝統的な価値の破壊を説き、合理的な実験によって社会を進歩させるという革新主義は「リベラル」の側から始まったはずである。それが「保守」へと移ってしまい、リベラルは保守に吸収されてしまった。
 私は、「保守」の本質は、近代社会が陥りがちな、急激な変革や合理主義への抵抗にある、と思う。
 それは社会秩序を、抽象的な普遍的価値に合わせて急激に変化するのではなく、われわれの慣れ親しんだ生活への愛着を大事にし、育ってきた文化や国の在り方を急激に変えない、という精神的態度だと思う。
 そして、この「本来の保守」の姿が今の日本では見当たらないのである。
 蓮舫氏のように「バリバリの保守だ」だといっている場合ではない。
 今日の日本に本当に必要なのは、「本当の」保守なのだ。」として締めくくった。
 読んで大変勉強になった。かねがね、保守と革新の違いに疑問を感じていた。筆者の指摘ですっきりした気分だ。
 「もともとは、「保守」の側が抵抗勢力であった」との指摘、 
 「フランスが生み出した自由、平等、人権などの普遍性を唱え、それを政治的に実現すべく市民革命によって権力を掌握した革命派がリベラル(左翼)であり、 それに抵抗して、伝統的社会秩序や伝統的価値観を重視したのが保守である」との指摘、
「人間の理性的能力には限界がある。それを補うものは、歴史の中に作りあげられた慣習的秩序や伝統の尊重である、という。これが本来の保守であり、今でもイギリスに強く根を張っている」との指摘、
 「ところが、近代社会は、系譜的にいえば、フランス革命の革命派の流れの上に成立した。<中略>
 これをリベラルというなら、近代社会はリベラルな価値によって組み立てられている。「保守」はいわばリベラルの暴走をいさめる役割を与えられたのだ」との指摘、
 「話が混沌として来るのは、アメリカが現代世界の中心に躍り出てきたからである」との指摘、
 「本来のヨーロッパの「保守」からすれば、アメリカは自由、民主主義という普遍的理念の実現を目指す「進歩主義」の国というしかない。<中略>こうした進歩主義を警戒するのが「保守」だというなら、アメリカには本来の意味での「保守」はきわめて希薄なのである」との指摘、
 「われわれは、アメリカとの同盟を重視し価値観を共有する者を「保守派」だという。」との指摘、
 筆者は「「保守」の本質は、近代社会が陥りがちな急激な変革や合理主義への抵抗にある」という、
 「そして、この「本来の保守」の姿が今の日本では見当たらないのである」と指摘、等等を知ることができ、「保守」の由来と、それの日本での「不存在」を教えてもらった。
 海外一人旅から帰って来るたびに、日本の自然や歴史や現在の素晴らしさを実感している。
 その点では、自分はリベラル(左翼)だと思っていたが、まさに筆者指摘の「保守」であり、しかもバリバリのそれであるらしい。
 
 
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by sasakitosio | 2016-10-10 10:39 | 朝日新聞を読んで | Trackback