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by sasakitosio

「新貧乏物語 年金プァ②」  職人の妻 遺族年金対象外 身削り53年働いたのに 

 9月14日付東京新聞朝刊に、「新貧乏物語 年金プァ②」というシリーズがある。今日はこの記事を学習することにした。
まず記事は、「少ない年金だけでは墓石を立てられず、京子さん(75)=仮名=は今も夫の遺骨を仏壇に置いている。
 3年前の冬に78歳でなくなった夫と知り合ったのは、京子さんが18歳の時だ。6つ年上の夫は、京子さんが住み込みで家政婦をしていた名古屋市のちょうちん店に弟子入りしていた。
 翌年、「独立するから手伝ってくれ」と求められて結婚し、木造の長屋で朝から晩までちょうちんを作った。
 夫が竹ひごで編んだ骨組みに、京子さんが和紙を張る。
 一日200個。1964年(昭和39)年の東京五輪ではちょうちんの生産が全国的に追いつかず、二人で8000個を引き受けたこともある。
家では「お父さん」。でも取引先の前では仕事の口調で「旦那さん」。
 自営業の夫を妻が支えるのは「当たり前だ」と自分言い聞かせ、給料をもらったことはない。
 夫に渡された月8万円の生活費でやりくりし、3人の子どもを育てながら日付が変わるまで働いた。
 晩年、夫は肺がんが見つかっても仕事を続けたが、ちょうちんは売れなくなった。お盆などに飾る家が少なくなり、2011年3月の東日本大震災の後は、祭りが盛んな東北からの注文が減った。作っても売れず、材料費の赤字だけが膨らんだ。
 その穴を埋めるために、夫婦でつき2万円もらっていた国民年金をつぎ込んだ。
 余生を楽しむこともなく、店を守る金策に最後まで追われた夫は、目を見開いたまま自宅で倒れ、その10日後に亡くなった。残された京子さんには蓄えがない。夫の国民年金が打ち切られ、夫婦で53年続けた店をたたんだ後、京子さんがすがろうとしたのが遺族年金だった。
 ところが、手続の仕方を訪ねるために訪れた区役所で、職員は言った。
 「お支払できません」
 遺族年金は公務員やサラリーマンなどの遺族のために用意されており、自営業者は原則、対象から外れている。
 「若いころから税金も年金もまじめに収めてきたのに、1万円でも5千円でも、もらえないんですか」。
 窓口で思わず口を突いたが、職員は「そういう制度なんです」と頭を下げるだけだった。
 今京子さんが受け取る年金は月6万円。そこから10枚3400円のチケットを買い、たまに喫茶店でコーヒーを飲むのが唯一の贅沢だったが、同年代の常連客に言われたことがある。
「あなたの年金、私の半分よ」
 自分と同じように夫に先立たれたが、会社員の妻だったその女性は、遺族年金を合わせて月に約12万円もらっている。
 自営業者と会社員の遺族で、どうしてこれほどの差があるのか。
 厚生労働省年金局は「商店や農家には後継ぎがいるため、夫が高齢で亡くなっても世帯としての収入は途絶えないという考え方だ」と説明する。
 ただ、この考え方で国民年金が創設されたのは1961年。後継ぎの有無を含め、55年前と今とでは自営業を取り巻く環境が違う。
 一日に使うお金は500円。
 万一の病気に備え自分課している。
 痛みかけた半額の野菜を買って、食費を切り詰める。一人暮らしでは家賃が払えず、娘夫婦のマンションに居候している。
 「お父さんは死ぬまで働き、私も支えた。なのに、商売人と勤め人で老後がこんなに違うなんて・・・」
 食人の妻として身を削り、半世紀生きた。ちょうちんを作り続けた両手は指の関節が変形し、夫が亡くなった冬が近づくと鈍い痛みが増してくる。」として締めくくった。
 読んで、関係者の気持ちは、痛いほど分かった。
 国民年金に遺族年金が最初からないことを、被保険者に周知してなかったことと、もともと国民年金は定年のない人が対象であったのかもしれないが、支給額が安くて定額であった。制度ができて掛け金をおさめるときに、孫のこずかい用だ、との声が聞かれた。
 しかし、受給の段階になると、1961年の始まりから、世の中も変わり、年金の受給額が暮らしに役立つようになった。国民年金での遺族年金の問題も、今日の年金改革のテーマにしなければならないのかもしれない、と思った。
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by sasakitosio | 2016-09-25 10:19 | 東京新聞を読んで | Trackback