憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

今、憲法を考える⑨ルソーの定義に学べば<戦争は国家間の争い!なら永久絶対の平和は国家の消滅で!!>

 9月8日付東京新聞社説に、「今、憲法を考える⑨」というシリーズがある。今日はこの社説に学ぶことにした。
 まず社説は、「国家とは法人である、国民との間で、社会契約が結ばれている。
 そして戦争は国家と国家の間で生じる。
 つまり、戦争とは他国の社会契約を攻撃することだーーーー。
 ルソーは戦争をそう定議した。
 18世紀に活躍した思想家で「社会契約論」などで有名だ。フランス革命時の人権宣言に影響を与えた。「戦争状態は社会状態から生まれるということ」(ルソー全集4巻)にこう記す。
 <ある主権者に戦争を挑むとはどうゆうことだろうか。それは国家の協約とその結果生じるあらゆる現象とを攻撃することだ。(中略)社会契約がただの一撃で断ち切られるようなことがあれば、たちまち戦争はもう起きなくなるにちがいない>
 社会契約を暴力で断ち切るのだから、憲法原理が変われば戦争は終わる。
 憲法学者の長谷部恭男早大教授は「ルソーの定義は、単なる空理空論ではない」と著書「憲法とは何か」に書いている。
 そして、東欧諸国が共産主義の憲法を捨て、議会制民主主義を採用した事例を挙げる。
 確かに「冷戦」という戦争は終結した。」と切り出した。
 つづけて社説は、「自民党は憲法を全面改定する草案を掲げ、安倍晋三首相は「それをベースに」と改憲を呼びかけている。
 本丸は国防軍の創設だと言われる。
 だが、日本国憲法は軍事力を持つようにできていないので、9条を変えれば、書き換えねばならない箇所がいくつも出てくる。例えば首相の職務には軍事の規定が入るであろう。
 そもそも現行憲法とは思想が相容れない。
 立憲主義では憲法は「名宛て人」を国家にして、権力に憲法を順守させる。草案は国民に順守させる書きぶりだ。
 しかも、「公益」や「公の秩序」の方を人権よりも上に位置づける。権力ではなく、国民を縛ろうとするのは立憲主義の放棄であろう。」と指摘した。
 最後に社説は、「憲法改正の限界説も無視している。
 日本国憲法のアイデンティティーを損なう改正は限界を超えて不可能と考える学説である。
 人権や国民主権、平和主義は三大原則と呼ばれから本来、手を付けられないはずだ。草案は世界でも先進的な平和的生存権もばっさり削る。
 国民に国防義務を負わせることと関連していよう。
 自民党草案が仮のそのまま成立するなら憲法破壊となる。
 法学的意味で「革命」と指摘する声もある。
 ルソーに学べば社会契約に対する戦争と同じ事態だともいえる。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 ルソーは、「戦争は国家と国家の間で生じる。つまり、戦争とは他国の社会契約を攻撃することだー。」と定義した、とのこと。
 自民党の憲法改正草案には「「公益」や「公の秩序」の方を人権より上に位置づける。」とのこと。
 自民党案が仮にそのまま成立するなら憲法は破壊となる。憲法典の転覆だから、法学的意味では「革命」と指摘する声もある」とのこと。等知った。
自民党の憲法改正草案は、平和的手段(国会の議決と国民投票)で、戦争の出来る国、国民の人権を制限できる国、に変えようとしていることがわかった。
 一体、誰のための憲法であり、誰のための日本国なのだろうか?
 国家も含めて社会的集団の持続的発展の源は、構成メンバーの能力を120パーセント開花させることであると思うのだが。
 国民の人権を制限したのでは、その国家は為政者の能力の範囲内でしか、繁栄も持続もできないのではないだろうか?
 国家は為政者のものではない、国民全体のものだ。
 だから、自民党の憲法改正草案は、けして通してはならない代物だ、と改めて思った。
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by sasakitosio | 2016-09-11 11:36 | 東京新聞を読んで | Trackback