憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

今憲法を考える③ 明治の論争が試される<伊藤博文の立憲主義!!と森有礼の天賦人権説だ!!!>

 8月31日付東京新聞社説に、「今、憲法を考える③」というシリーズがある。
 今日はこの社説に学ぶことにした。
 まず社説は、「大日本帝国憲法をめぐる枢密院での伊藤博文と森有礼との論争は有名である。
 伊東は初代首相、森は初代文部相となる重鎮だ。伊藤は憲法創設の精神を語った。
 <第一君権ヲ制限シ、第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ>
立憲君主制を目指したので、君主の権利を制限して、国民の権利を保護すると述べたのだ。
 憲法で権力を縛る立憲主義の根本である。
 森の答えが実に興味深い。
 <臣民ノ財産及言論ノ自由等ハ、人民ノ天然所持スル所ノモノニシテ(中略)憲法ニ於テ此等ノ権利始テ生ジタルモノノ如ク唱フルコトハ不可ナルガ如シ>
 生まれながらにして持つ権利は憲法に明文化する必要はないと主張しているのだ。
 弁護士の伊藤真さんに解説してもらった。
 「「明文化すると、明文化されていない権利が無視されることを恐れたのです。人間の持つ自然権は、すべてを書き尽くせません。
 基本的なことを書き、時代に即して解釈していく方が幅広く人権を守れると考えたのです。」と指摘した。
 続けて社説は、「自然権は17世紀に活躍した英国の思想家ジョン・ロックらが主張した。権利を守るために契約により政府を作る。もし、正しい政治がなければ、国民が政府に抵抗する「抵抗権」を認めた。さて自然権を憲法に書くべきかーー。
 1787年の米合衆国憲法には当初なかった。
 91年の修正条項で自由と権利が規定された。
 フランスの1958年の憲法でも規定はないが、前文で1789年宣言への忠誠をうたう。フランス革命時の有名な人権宣言である。つまり、生まれながらに持つ自由と権利は自明の理なのだ。
 「天賦人権説」という。日本国憲法もこの考え方に基づくが、自民党の憲法改正案は同説を採用しないと公言する。草案は「公の秩序」が人権より上位にくるような書きぶりだ。まるで国が恩恵として与える明治憲法の「臣民の権利」と同じだ。」と指摘した。
 最後に社説は、「作家の高見順は1945年9月30日の日記に書いた。
 <戦に負け、占領軍が入ってきたので、自由が束縛されたというのなら分かるが、逆に自由を保障されたのである。なんという恥ずかしいことだろう>
 明治の森有礼でさえ、自由と権利を「人民ノ天然所持スル」と述べた。
 人権宣言から200年を超すいま、天賦人権説への異論が出るとは、まことに恥ずかしい。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 大日本帝国憲法をめぐる枢密院での伊藤博文と森有礼の論争で、伊藤博文は「立憲君主制をめざしたので、君主の権利を制限して、国民の権利を保護する」とのべ、森の答えが「生まれながらにして持つ権利は憲法で明文化する必要がない」と主張しているとのこと。
 自然権は17世紀に活躍した英国の思想家ジョン・ロックらが主張し、権利を守るために契約により政府をつくり、もし正しい政治がなければ、国民が政府に抵抗する「抵抗権」を認めたとのこと。
 日本国憲法もこの考え方(天賦人権説)に基づくが、自民党の憲法改正草案は同説を採用しないと公言する、とのこと。
 作家の高見順氏は、1945年9月30日の日記に「戦に負け、占領軍が入ってきたので、自由が束縛されるというのなら分かるが、逆に自由を保障されたのである。なんという恥ずかしいことだろう」と書いた、とのこと。  等等を知ることができた。
 社説が、「人権宣言から200年を超すいま、天賦人権説への異論が出ることは、まことに恥ずかしい」と記しているが、自民党の「憲法改正草案」は国民主権から国家主権に変える時代錯誤の「革命」を、平和的に(議会を通して)行おうとしているのかも知れない、と思った。決して、通してはならない代物だと、思った。 
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by sasakitosio | 2016-09-08 19:25 | 東京新聞を読んで | Trackback