憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

今憲法を考える①平和の道しるべたれ<戦争放棄と象徴天皇制はセット?押し付け論は方便でした??>

 8月29日付東京新聞社説に、「平和の道しるべたれ」との見出しで現行憲法のことが載った。
 今日はこの社説を学習することにした。
 まず社説は、「マッカーサーの執務室が今も残っている。皇居堀端の第一生命本社ビルの6階。
 連合国司総令部(GHQ)が1945年終戦後、そこに置かれた。
 執務室は広さ54平方メートル。
 引き出しのない机と革製の椅子・・・・・。
 背もたれのばねが弱り、今は座ることを許されない=写真、同社提供。
 46年1月24日。当時の首相幣原喜重郎は正午にGHQを訪れた。
 年末から年始にかけ肺炎で伏せっていたが、米国から新薬のペニシリンをもらい全快した。そのお礼と言う口実を持って、一人で訪問したのである。
 お礼を述べた後、幣原は当惑顔をし、何かをためらっている様子だった。
 最高司令官のマッカーサーが「意見を述べるのに少しも遠慮する必要はない」と促すと、幣原は口を開いた。
 何と「戦争放棄」の条項を新憲法に入れる提案をし始めたのだ。
 日本が軍隊を持たないというこということも・・・。「マッカーサー回顧録」の記述だ。こう続く。
 <私は腰が抜けるほど驚いた。(中略)この時ばかりは息も止まらんばかりだった。戦争を国際間の紛争解決には時代遅れの手段として廃止することは、私が長年情熱を傾けてきた夢だった>
 二人の会談は3時間に及んだ。
マッカーサーは後に米国議会上院でも同じ趣旨の発言をした。」と切り出した。
 つづけて社説は、「また57年につくられた憲法調査会会長の高柳賢三がマッカーサーに書簡を出したことがある。
 戦争放棄はどちら側から出た考えかとーー。
 58年12月に返信があった。
 その書簡でもマッカーサーはやはり幣原による提案だと書いていた。
 今年になって、堀尾輝久東大名誉教授が見つけた新資料である。
 こう綴られている。
 <提案に驚きましたが、心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました>
 幣原側にも資料がある。
 51年に亡くなる10日ほど前に秘書官だった元岐阜県知事平野三郎に東京・世田谷の自宅で語った文書である。
 その「平野文書」が国会図書館憲政資料室に残る。
 <風邪をひいて寝込んだ。僕が決心したのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。>
 <天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することをぼくは考えた>
 オーストラリアなどは日本の再軍備を恐れるのであって、天皇制を問題にしているわけではない、という幣原の計算があった。戦争を放棄すれば、天皇制を存続できると考えたのだ。
 この二つは密接に絡み合っていた。
 そして、マッカーサーと3時間かけて語り合ったのである。
 < 第九条の永久的規定ということには彼も驚いていたようであった。(中略)賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった> 
 <憲法は押し付けられたという形を取ったわけであるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった> 「平野文書」は九条誕生のいきさつを生々しく書き取っている。
 むろん、この幣原提案説を否定する見方もある。
 GHQに示した当初の改正案には「戦争放棄」など一言もなかったからだ。
 大日本帝国憲法をわずかに手直しした程度の内容だった。かつ、二人の会談は録音がないから、明白な証拠は存在しない。ただ、会談から10日後に示されたマッカーサー・ノートと呼ばれる憲法改正の3原則には、戦争放棄が入っている。
 ドイツの哲学者カントは18世紀末に、「永遠平和のために」で常備軍の全廃を説いた。
 第一次世界大戦後の28年にはパリで戦争放棄をうたう不戦条約がむすばれた。
 実は大正から昭和初期は平和思想の世界的ブームでもあった。軍縮や対英米協調外交をすすめた幣原もまた平和主義者だった。」と指摘した。
 最後に社説は、「憲法公布70年を迎える今年、永田町では「改憲」の言葉が公然と飛び交う。
 だが、戦争はもうごめんだという国民の気持ちが、この憲法を支え続けてきたのだ。多くの戦争犠牲者の願いでもあろう。行く末が危ういとき、この憲法はいつでも平和の道しるべとなる。
 私たちは憲法精神を守る言論に立つ。
 戦後の平和な社会は、この高い理想があってこそ築かれたからだ。
 一度失えば平和憲法は二度と国民の手に戻らない。
 読者のみなさんとともに、今、あらためて憲法を考えたい。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 まず、当時の首相幣原喜重郎が、46年年末年始にかけて肺炎にかかり、米国から新薬のペニシリンをもらい全快した、とのこと。
 43年生まれの自分が幼児の頃ジフテリアにかかり、母親が三日三晩抱いていたとのこと、街の耳鼻科にお米を持って行ってペニシリンを打ってもらって治ったと、聞かせれペニシリンを通してアメリカの偉大さを感じてきた。
 「マッカーサー回想記」の記述を知り、「平野文書」の存在を知り、会談から10日後に示された「マッカーサーノートと呼ばれる憲法改正の3原則には戦争放棄が入っている」とのことを知ることができた。
 また、カントが18世紀末に「永遠平和のために」で常備軍の全廃を説いた」とのことを知り、第一次大戦後の28年にはパリで戦争放棄うたう不戦条約がむすばれた、ことを知ることができた。これからの護憲運動に大きな力になる。
 また、「平野文書」での幣原喜重郎の言葉、
 <風邪をひいて寝込んだ。僕が決心したのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった>
 <天皇の人間化戦争放棄を同時に提案することをぼくは考えた>
 <第九条の永久的な規定ということには彼も驚いていたようであった。(中略)賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった>
 <憲法は押し付けられたという形を取ったわけであるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった>
 等々を読んで、幣原喜重郎の偉大さが、初めて分かった気がした。そして、押し付け憲法論は、味方をだましてまで、戦争放棄で天皇制を守った幣原喜重郎の戦術に未だ載せられている、ということもあらためて知った気がした。
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by sasakitosio | 2016-08-31 06:44 | 東京新聞を読んで | Trackback