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by sasakitosio

乗り越える・相模原事件①<異見排除より共有!孤独と危険は隣合わせ!懐が狭くなったコミニティー?>

 8月26日付東京新聞朝刊29面に、「相模原事件 乗り越える①」と言う欄がある。
 相模原市の障害者施設で入所者19人が殺害された事件から26日で1カ月。
 障害者を社会から排除しようとする植松聖容疑者(26)の言動は人々に衝撃を与えた。 
 障害者と健常者が共生する社会の実現に向けた人々の努力が踏みにじられた事件とどう向き合い、乗り越えればいいのか。
 障害のある人や家族、識者らに聞いてみた。(聞き手・加藤益丈)発言者は、東大准教授・熊谷晋一郎さんだ。
 まず発言者は、「事件後に「措置入院させた精神障碍者の退院の条件は厳しくすべきだ」といった意見が出たのが気になった。
 精神障碍者を「他者」として、排除してしまえばわれわれのコミュニティーが安全になるという考え方が透けて見えるからだ。
 しかし、これは幻想だ。
 排除の先にあるのは安全でなく暴力であることは歴史が証明している。むしろ、大切なことは、今回の事件を「一部の他者が起こした問題」とするのではなく、「われわれの問題」ととらえることではないか。」と切り出した。
 つづけて発言者は、「そうした思いから8月6日、事件の被害者を追悼する集会を都内で開いた。国内外のさまざまな立場の人約400人からメッセージが寄せられた。
 事件で弟を失ったというひとから「親に弟の障害を隠すなといわれて育ってきたが、今は名前を絶対に公表しないでほしいと言われる。命は存在するだけで価値があるということが当たり前でない」というメッセージを受け取った。
 一方で、匿名発表は「植松聖容疑者の主張を正当化することにつながりかねない」と危ぶむ声もあった。
 互いに矛盾するような意見であっても、あえて議論せず並べた。異なる意見を排除せず聞くことが必要だと考えたからだ。
 たとえ意見が異なっても相手の考えが分かっていれば人は信頼を寄せられる生きものだからだ。
 事件が起きる前に、植松容疑者に「気持ちは分かるよ」と言って受け止める人がいれば、違った結果になったのではないかとおもう。
 人間は時に、いびつな感情を持つものだ。
 しかし、一人ぽっちにしないことで危険は防げる。
 すぐに精神医療の対象にしてしまうのはわれわれのコミュニティー の懐が狭くなっているからではないか。」と指摘した。
 最後に発言者は、「日本社会では、身体や心に障害がある人という意味だけでなく、社会から不要とされた人という意味で「障害者」という言葉を使ってきたという研究結果がある。
 技術の進歩により労働分野で人間が不要になりつつある現代、現役世代はいつ自分が不要とされるかという不安と隣り合わせにある。
 不安を抱えた人が生き延びるため取る方法は二つ。
 より不要な人を見つけ、排除して自分が不要になるのを先延ばしするか。
 あるいは、「社会に役に立つ人に価値がある」と言う考え方劇的に変えるか。
 後者を選択することを願いたい。」として締めくくった。
 読んでためになった。
 発言者の「事件の起こる前に、植松容疑者に「気持ちは分かるよ」と言って受け止める人がいれば、違った結果になったのではないかと思う」との指摘、
 「危険な人ほどかかわりが必要なのに、すぐ精神医療の対象にしてしまうのはわれわれのコミニティーの懐が狭くなっているからではないか」との指摘、
 「技術の進歩により労働分野で人間が不要になりつつある現代、現役世代はいつ自分が不当うとされるかという不安と隣り合わせにある」との指摘、なるほどとうなづけた。
 ただ、同じ障害でも、身体障害、知的障害、高齢による心身障害と、精神障害は、被害予測の点で、気持ちの上でなかなか同一視するのに抵抗がある。まだまだ自分の人間修行が足りないということか。
 
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by sasakitosio | 2016-08-27 06:46 | 東京新聞を読んで | Trackback