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by sasakitosio

大津事件に学ぶ 琵琶湖畔で語る日中の明日 <日本の歴史を学ぶ「黒名単」いいねえ!筆者もいいね!!>

 8月25日付朝日新聞社説下に、「ザ・コラム」と言う欄がある。筆者は、編集委員・吉岡桂子氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「しばらく前のこと。中国からやってきた旅行客十数人が、大津市内の小さな石碑を楽しそうに取り囲んでいた。
 「露国皇太子遭難之地」。
 「大津事件」の現場である。
 中国当局が出国を許さず、土壇場で来日を断念した人がいたと聞いた。そんな事情もあって、時期や参加者の多くを特定しないまま、今日のコラムを書かせてほしい。
 この事件、日本史の教科書でちょっとおさらいするとーーー。
 ときは、1891(明治24年)。来日中のロシア皇太子が琵琶湖遊覧の帰り、大津市内で警備中の巡査に切りつけられてけがをした。
 大国ロシアとの関係を損ないたくない日本政府は、皇室に対する罪を適用し死刑にせよと裁判所に圧力をかけた。だが、最高裁判所のトップは反対し、刑法の範囲内で無期懲役にとどめた。司法の独立を守った事件として記されている。
 なぜ、わざわざ中国から?
 彼らの半分が弁護士や法律の研究者で、ほとんどが日本は初めて。
 案内役を務める「高級ガイド」は、北京大学法学部教授、賀衛方さん(56)。
 共産党一党独裁体制の中国にあって、憲政と司法の独立を20年余り訴えてきた民主派の法学者である。
 「近代日本にとって重要な意味を持つ事件。私は、ぜひ訪ねて見たかったのです」。うれしそうに石碑を撫でている。片手に25年前に出版された岩波文庫「大地事件」。日本語はできないが、概要を熟知しているだけに「漢字ですし、じいっと見ていると分かります」と笑う。
 文庫の解説で、三谷太一郎・東大名誉教授はこう書いている。「(大津事件は)国際関係や国内情勢の変化に応じてしばしば想起され、新し文脈の中で新しい意味を付与されることの少なくなかった生きた歴史なのである」と。
 300人を超える弁護士や人権活動家の一せい拘束。そして、相次ぐ有罪。習近平政権は、市民の権利を守ろうと動く人々への弾圧を強めている。だからこそ、彼らの胸に、大津事件は生きている。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「かって、賀さんのウイットに富む講演は大学ばかりか一般にも人気で、数百人の会場がすぐにいっぱいになった。
 ところが、ここ数年で様変わりした。大学を通じて共産党宣伝部門の承認が必要になった。
 「黒名簿」(ブラックリスト)」に入れられ、小さな会合ですら話せなくなった。ならば、と、賀さんのファンが中国版LINE「微信」(ウィ-チャット)」を通じて集まったのが、今回の旅である。
 いわゆる「オフ会」のようなもので、費用はみんな自腹。
 取材を通じて賀さんと知り合った私も、ファンの一人として混ぜてもらった。
 黒船来航の港や函館など明治維新ゆかりの地を旅した後、関西では大津のほか、京都にも立ち寄った。
 幕末の志士・坂本竜馬の足跡をたどり、法然院で東洋史学者・内藤湖南のお墓を探してあるいた。
 マイクロバスの車内、琵琶湖畔のホテルの中庭・・・・。議論を重ねながら約1週間、日本を回った。
 清朝末期の中国と明治維新のころの日本を対比させながら、中国に足りなかったのは何か。
 近代アジアの期待の星だった日本は、なのにどうして侵略戦争に走ったのか。
 あのとき日本に満ちていたにわか大国意識と自己中心のナショナリズムは、今の中国に周回遅れで見え隠れしていないか・・・・・。
 中国の現状を憂える声が飛び交う。」と教えてくれた。
 最後に筆者は、「賀さんは1960年、山東省で生まれた。10歳のころ、毛沢東がすすめた政治運動「文化大革命」で、医者だった父親が他の人より給料が少し多かっただけでつるし上げられ、手術用メスを使って自殺した。法律を学んで教壇に立ち始めてからは、共産党員としてすれすれのところで体制の内側にとどまり、改革の必要性を発信してきた。
 その口すら封じられている。
 「爆買い」でもなく、クルーズでもな。いっぷう変わった、そして、大切な客人たち。
 日本が、つかの間でも「避難港」になれるなら、とてもうれしい。
 次はもっと、私たちの明日を語ろう。 日本と中国。
  彼らの旅に見たように、歴史を交錯させながら時間を紡いできたのだから。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 中国には、「黒名単」という言葉があるとのこと。
 「微信」のオフ会で、日本の歴史を勉強しに、自費で来た人たちがいる、とのこと。等等を初めて知りすばらしいと、思った。
 約1週間、筆者も同行し、「清朝末期の中国と明治維新のころ日本を対比させながら、中国に足りなかったのは何か。
 近代アジアの期待の星だった日本は、なのにどうして侵略戦争に走ったのか。
 あのとき日本に満ちていたにわか大国意識と自己中心のナショナリズムは、今の中国に周回遅れで見えかくれしていないか・・・・。」等の議論を重ねながら回ったとのこと。すばらしい、日中友好の旅だ、と思った。
 この試みは、将来必ず、日中友好の大輪と花咲き、日中平和、政界平和の大きな実を結ぶような気がしてならない。
 
 
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by sasakitosio | 2016-08-26 06:05 | 朝日新聞を読んで | Trackback