五輪の精神 <競技大会は、国家対抗戦ではない!?表彰式での国旗や国歌の廃止案もあった??>
2016年 08月 26日
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「5日の社説で「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」という五輪憲章の文言を引用し、23日の紙面では「オリンピック精神においては友情、連帯、フェアプレーの精神とともに相互理解がある」という憲章の文言に基づいて「本紙が選ぶ8シーン」を載せた東京新聞。
一見ひねくれ者だけど、私は支持したい。」と切り出した。
つづけて筆者は、「スポーツライター小川勝さんの「東京オリンピック「問題」の核心は何か」{集英社新書}によると、五輪が国別対抗戦のようになったのは1908年の第4回のロンドン大会からという。
それでもブランデージやキラニンなど、70年代までのIOC会長は5輪がナショナリズム高揚の場になることを懸念して、表彰式での国旗・国家を廃止するか、五輪旗と五輪ファンファーレに変えるよう再三提案してきた。
それを拒んだのは国費で選手を養成する東側共産圏諸国だったという。さもありなむ。」と、教えてくれる。
最後に筆者は、「小川さんはまた、2020年東京大会に向けて発表された「メダル獲得へ向けた競技力の強化」などの政府の基本方針はことごとく憲章に反していると批判する。
その伝でいくと、選手に国家を歌えと説教した大会組織委員会の森喜朗会長なんて即退場よね。
閉会式に首相を引っ張り出したのも森氏?
な何考えてんのかな。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
五輪憲章に、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」とあるとのこと。
「ブランデージやキラニンなど、70年代までのIOC会長は五輪がナショナリズム高揚の場になることを懸念して、表彰式での国旗・国歌を廃止するか、五輪旗と五輪ファンファーレに変えるよう再三提案してきた。それを阻んだのは国費で選手を養成する東側共産圏諸国だった」とのこと。
等々を知ることができた。
しかし、日本選手が活躍する競技は見たくなり、活躍に喝采をしてしまうのは、抑えることができない。