学問の衣をまとった悪 <おぞましき人種優生学!根拠なき自惚れではないか!?>
2016年 08月 25日
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「ベルリンの中心部に広がる緑地公園のすぐ近く、音楽の殿堂ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地を望む場所に、作戦の本部跡地はあった。
所在地の住所「ティアガルテン通り4番地」の頭文字を取って、「T4作戦」と呼ばれた。
ナチス・ドイツが国家ぐるみで進めた、安楽死による障害者抹殺だった。
ナチスの蛮行としてまず、挙げられるのが犠牲者600万人に上るホロコースト(ユダヤ人大虐殺)だ。
しかしそれだけではなかった。
ユダヤ人抹殺の根拠とした、最高の白人種と位置付けたアーリア人至上主義と併せ、「健康な者だけ」の社会を目指し、障害者殺害政策を立案した。
障害児の父親が政府に「尊厳死」を求めたことが、きっかけだったという。
作戦は極秘で、指示の多くは口頭で出された。
施設は独西部の小村ハダマ―など人目につかない場所6カ所に設置。
障害者や治療困難な患者らを「公共患者輸送」などと書かれた灰色のバスで搬送し、薬物注射や一酸化炭素、毒ガスなどで殺害していった。
ヒトラーの承認を受け、本来患者を救うべき医師や医療機関が、立案や搬送の選別を主導した。
犠牲者は20万人以上に上ったという。」と切り出した。
つづけて筆者は、「おぞましいが、人種優生学と言う学問の衣をまとった論拠が整えられていた。
「人の価値には生まれながらにして差がある」というその主張は学校などで教えられ、国民に徹底された。
人種優生学は単なる思い付きではなく、欧州の思想潮流の延長戦上にあった。
ダーウィンの「種の起源」(1859年)は、「不適応な種は自然淘汰され、優れた種は繁栄する」と説いた。
同じ19世紀末、ドイツの哲学者ニーチェは、若者の臆病を戒める意味で、こんな比喩を用いた。
「腐った実、虫食いの実をすっかり枝から振り落とす嵐がくればいいのに。早い死を進める説教者が来ればいいのに」(中公文庫版「ツァラトゥストラ」)
人種優生学の担い手らは、それら思想家らの主張を都合よくつまみ食いしながら、ホロコーストと安楽死の理論を組みたてた。」と指摘した。
最後に筆者は、「ナチスの政策は,命の重視という人道の大原則にもとるものだった。
戦後、かかわった医師らは国際軍事法廷ニュルンベルグ裁判に加え、西ドイツの司法でも裁かれた。
ナチス的言動や思想の復活拡散が法律で禁じられ、ヒトラーの「わが闘争」の出版はは認められなかった。
表現や言論の自由よりも優先された。
相模原市の障害者施設殺傷事件で逮捕された植松容疑者(26)は「ヒトラーの思想が降りてきた」と話していたという。
ナチスが滅びて70年以上たった今なお、凶行の引き金となる差別思想の影響力の大きさに戦慄させられる。
感化されないためには規制だけでは不十分だ。
ナチスが絶対悪であり、人の命が等しくかけがえのないことを粘り強く説いていくしかない。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「T4作戦」の本部がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地を望む場所にあった、とのことを初めて知った。
ナチス蛮行としてホロコーストと障害者殺害政策があり、600万人に上るホロコースト、20万以上の障害者等の犠牲者があったことを知った。
また、ドイツでは「人の価値には生まれながらにして差がある」というその主張は学校などで教えられ、国民に徹底された」とのことも知った。
さらに、「人種優生学は単なる思い付きではなく、欧州の思想潮流の延長線上にあった。
ダーウインの「種の起源」(1859年)は、「不適応な種は自然淘汰され、優れた種は繁栄する」と説いた。
同じ19世紀末、ドイツの哲学者ニーチェは、若者の臆病を戒める意味でこんな比喩を用いた。
「腐った実、虫食いの実をすっかり枝から振り落とす嵐がくればいいのに。早い死をすすめる説教者が来ればいいのに」(中公文庫版「ツァラトゥストラ」)」とのことを知った。
人種優生学は、なぜ生まれ、広まり、いまだに影響力がのこっているのだろうか?
ナチスといい、戦前の日本の軍国主義といい、かくも簡単に多数の人々がからめ取られのだろうか?
筆者の指摘通り、規制と説得しか対策はないかもしれないが?