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by sasakitosio

相模原事件から考える 「同じ船」の意識あるか<命は形を異にして宿る、命に重さはないのでは??>

 8月19日付朝日新聞朝刊13面に、「月刊安心新聞」と言う欄がある。筆者は、千葉大教授・神里達博氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「相模原市の「津久井やまゆり園」で先月発生した惨劇により、列島全体は鉛のように重苦しい空気で覆われた。命を奪われた19人の方のご冥福を深くお祈りしたい。
 オリンピックも始まり、すこしこの事件のことを忘れかけている人も多いかもしれない。
 しかし、いまだに私たちの心の奥には、犯人への怒りや憎しみとともに、複雑かつ不快な感情がまとわりついているようにも思う。
あえてその感情を言葉にしてみると、「優生思想の亡霊」に不意に出くわしたことへの驚きと不安、と言えるのではないか。
 だが問題は、それが本当に過去の亡霊なのかということだ。
 ここでは、この思想の出自を探りながら、不快な「胸のつかえ」と向きあうことを試みたい。
 報道によれば、容疑者は「ヒトラーの思想が下りてきた」と話しているという。これはナチス政権下で行われた「安楽死」政策、いわゆる「T4作戦」のことを指しているかもしれない。
 第二世界大戦が始まるとヒトラーは、施設で暮らす障害児や、精神科に入院する患者など、最低でも7万人,一説には十数万人を殺害するよう、非公式の命令を出したという。
 ナチスの行為はまさに悪魔の所業である。しかし、歴史的には、そのような優生学的な政策はナチスに限ったものではない。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「そもそも優生思想とは、遺伝学的に「劣等」なものを減らし、「優秀」な子孫を増やすことにより、民族全体としての健康を向上させようとする考え方である。
 そのルーツは英国の科学者ゴルトンにあるとされる。彼は「進化論」で有名なダーウィンのいとこにあたるが、人間のさまざまな量を測定して統計的に検討するうちに、家畜の品種改良と同様のことが、人類に対しても可能ではないかと夢想するようになった。
 彼は積極的に自説を宣伝し、知識人を中心に賛同者が増え、優生思想は広がりを見せていく。
 優生思想を実践する方法としては不妊手術と中絶がある。
 実は、本人の同意がない強制的な不妊手術が広く実施されたのは、米国が最初であった。
 1907年インディアナ州で断種法が可決されたのを皮切りに、31年までに30州で法案が成立し、精神障碍者等に対して、1万2千件以上の不妊手術が行われた。
 ヒトラー政権は、米国の政策を取りいれ、さらに「徹底」させたものともいえる。
 では日本はどうだったか。
 1940年、ナチスの「遺伝病子孫予防法」をベースに、「国民優生法」が制定された。同法は、「悪質な遺伝性疾患の素質を持つ者」に対する不妊手術を促していた。だがすでに時代は「産めよ増やせよ」となっており、実際には強制的な不妊手術は行われなかったという。
 日本で優生思想が広がったのはむしろ戦後のことである。「優生保護法」は1948年に成立したが、遺伝性疾患のほか「癩疾患(ハンセン病)」が不妊手術の対象に加わり、後に「精神病」等も追加され、適用範囲は戦前よりも拡大した。
 また、優生学的理由による中絶も可能となった。驚くべきことに、この法律は96年に「母体保護法」に改正されまで有効であり続け、その間、強制的に行われた不妊手術は1万6千件以上にのぼる。
 実はスウェーデンでも、1934年から73年までの間、強制的な不妊手術が行われていた。
 97年にそのことが明らかになると大きなスキャンダルになり、被害者への補償措置が取られるに至っている。
 日本社会の反応とは、大きな温度差があったと言わざるを得ない。」と指摘した。
 最後に筆者は、「当然ながら、ナチスのような強制的に障害者を「安楽死」させることと、子孫を持たないようにする不妊や中絶の手術を施すことは、レベルが全く異なる。
 しかしそれでも、両者は、「共同体の負担を減らしたい」という意図に基づく点で、共通する。
 そしてこの問題は、現在の私たちの社会においても、形を変えて存続しているのではないか。
 例えば出産の前にダウン症などの染色体異常を見つける技術がある。
 最近では、母親の血液だけで検査できる。
 いわゆる「新型出生前検診」が登場し、過去3年間で3万人以上が受診した。「陽性」と判定され、その後の確定診断でも異常が認められた人のほとんどが中絶を選択しているという。
 むろんこれは当事者の自由意思に基づく者であり、カウンセリングなどのサポート体制も整備されている。
 どの親も、まさに苦渋に満ちた決断を下に違いない。
 だが、それでも、「共同体の負担を減らすために、結局この社会は命の選別を許しているのでないか」と問われたならば、きっと私たちの誰もが、慄然とさせられるはずだ。
 議論が飛躍し過ぎていると思われるかもしれない。 確かに、「やまゆり園」での事件は、凶悪犯罪の個別事例とみなすこともできるだろう。
 しかし、私たちの社会は、知らず知らずのうちに、そのような他者の存在を根本から否定する考え方と、地続くになってはいないか。
 もし私たちの社会が老いも幼きも、また病やけがを抱えても、全て「同じ船」のメンバーとして、未来へともに連れて行くと、メンバーの誰もが確信できるような共同体であったなら、同じ事件が起きただろうか。
 いかに健康な人であっても、いつ障害を抱えるかは分からない。誰もが直面しうる問題は、社会全体で分かち合うのが、21世紀の市民の常識であるはずだ。
 この社会が存立する基盤を、もう一度見つめ直したい。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「優生思想とは、遺伝学的に「劣等」なものを減らし、「優秀」な子孫を増やすことにより、民族全体としての健康を向上させようとする考え方のことである」とのこと。
 英国のが科学者ゴルトンは、進化論で有名なダ-ウンのいとこに当たり、「家畜の品種改良と同様のことが、人類に対しても可能ではないかと夢想するようになった。彼は積極的に自説を宣伝し、知識人を中心に賛同者が増え、優生思想は広がりを見せてきた」とのこと。
 「優生思想を実践する方法としては不妊手術と中絶がある。」とのこと。等々を知ることができた。
 そして、 ナチスのように強制的に障がい者を「安楽死」さえることと、子孫を持たせないように不妊や中絶を施すこととはレベルが全く異なる。しかしそれでも両者は、「共同体の負担を減らしたい」と言う意図に基づくという点では共通する」との指摘は、慄然として受け止めた。
 この先、人工授精へ向かうのか、人工知能を持ったロボット開発へ向かうのか、いずれにしても、神の怒り(あれば、だが?)、地球の怒り(あるかもよ!)に触れるのではないかと、心配している。
 
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by sasakitosio | 2016-08-24 06:28 | 朝日新聞を読んで | Trackback