憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

むのさん逝く   <30歳で自責の念で朝日を去り、101歳まで反戦活動。まるで聖人だねえ!!!>

 8月22日付朝日新聞社説に、むのたけじさんの逝去を悼む記事が載った。
 今日はこの社説に学ぶことした。
 まず社説は、「101歳のジャーナリスト、むのたけじさんが、昨日、亡くなった。
 よりよい社会と世界を目指すには、あの戦争と、その後の日本の歩みを、絶えず検証し、発言し続けなければならない。
 むのさんは、そのことを身をもって示しながら、戦後71年の日々を生きた。
 戦争中、朝日新聞の記者だったむのさんは、戦地などを取材した。だが、真実を伝えることができなかった。その自責の念から、敗戦の日に新聞社を去った。30歳だった。
 故郷の秋田県に戻り、48年に週刊新聞「たいまつ」を創刊。地方を拠点に反戦、平和、民主主義を守る執筆と運動を続け、農業、教育などを論じた。
 今や戦後生まれが人口の8割以上を占める。そこに向けてむのさんは、戦時下の空気と、戦場の現実を伝えた。」と切り出した。
 つづけて社説は、「公の場での最後の発言となった今年5月の憲法集会。車椅子に座ったむのさんは、強い風に白髪をなびかせながら、はりのある声で、「若い人々に申し上げたい」と語り始めた。
 「戦場では従軍記者も兵士と同じ心境になる。
 それは、死にたくなければ相手を殺せ。正気を保てるのは、せいぜい3日。
 それからは道徳観が崩れ、女性に乱暴したり、物を盗んだり、証拠を隠すために火をつけたりする。
 こういう戦争で社会の正義が実現できるでしょうか。人間の幸福が実現できるでしょうか。
 できるわけありません。
 だからこそ、戦争は決して許されない。
 それを私たち古い世代は許してしまった」
 体験に基づく証言の迫力と悔悟の言葉に、数万の参加者が聞き入った。
 この時むのさんは「新聞の仕事に携わり、真実を国民に伝えて道を正すべき人間が、何もできなかった」とも語った。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「治安維持法で言論の自由が封殺された。そういう時代に報道機関はどうなるか。
 むのさんはかって、戦時中の朝日新聞社の空気をこう振り返っている。
 検閲官が社に来た記憶はない。軍部におもねる記者は1割に満たなかった。残る9割は自己規制で筆を曲げた。
 戦火を交えるのは、戦争の最後の段階である。
 報道が真実を伝えることをためらい、民衆がものを言いにくくなった時、戦争は静かに始まる。
 だから、権力の過ちを見逃さない目と、抑圧される者の声を聞き逃さない耳を持ち、時代の空気に抗して声を上げ続けなければならない。
 むのさんはそれに、生涯をかけた。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 今年5月の憲法集会、私も現場にいた。社説の記事で改めて、むのさんの言葉をかみしめている。
 また、「むのさんはかって、戦時中の朝日新聞社の空気をこう振り返っている。検閲官が社に来た記憶はない。軍部におもねる記者は1割にも満たなかった。残る9割は自己規制で筆を曲げた」との話しは、実によく分かった。人間皆が皆そんなものだろう。だれも責められない。いまのNHKにその陰を見る気がする。
 そして、「戦火を交えるのは、戦争の最後の段階である。報道が真実を伝えることをためらい、民衆がものを言いにくくなった時、戦争は静かに始まる。」との社説に指摘は、今をじっくり考える上で、怖いほど当たっていると、思った。
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by sasakitosio | 2016-08-23 06:51 | 朝日新聞を読んで | Trackback