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by sasakitosio

戦争と新聞 < 戦争は一夜にしてならず、国民をやる気にさせた歴史がある?そこを曝してほしい!!>

 8月14日付東京新聞社説に。「戦争と新聞」と題して、新聞が権力にどう向き合うべきかの記事が載った。
 今日はこの社説を学習することにした。
 まず社説は、「今年も鎮魂の夏を迎えました。終戦まで戦意をあおり続けた新聞も、その責任をのがれません。権力とどう向き合うのか、今も重い課題を投げかけます。
 71年前、1945年(昭和20)年のきょう8月14日から15日にかけて、宮城(現皇居)周辺はクーデター未遂事件の舞台となり、騒然とします。日本の降伏を阻止しようと一部将校が企てた「宮城事件」です。
 歴史研究家で作家の半藤一利さんが綿密な取材で著した「日本の一番長い日」に詳しく記されています。二度にわたって映画化もされました。
 その中に、東京・内幸町にあった日本放送協会の放送会館が将兵に占拠される場面があります。
 反乱を企てた陸軍少佐がスタジオで、放送員の館野守男さんに拳銃を突きつけ「午前5時の報道の時間のとき、自分に放送させてくれ」と懇請しました。
 しかし、「たとえ殺されても、狂気の軍に放送局を自由にさせてはならない」と考えていた館野さんは、警戒警報発令中の放送には東部軍管区の許可がいる、全国中継なら各放送局と技術的な打ち合わせだ必要、などとかわします。
 にらみ合いはしばらく続きました。
 結局、少佐は東部軍参謀の電話による説得を受け入れ、抵抗を終えます。
 終戦の詔を自ら読み上げた昭和天皇の録音盤は無事、宮城から放送会館に運ばれ、15日の正午から「玉音放送」として全国に放送されます。
 館野さんは41(昭和16)年12月8日、開戦の詔勅を朗読したアナウンサーでもありました。
 戦後はNHKのアメリカ総局長、国際局長なども歴任しました。
 メディアに携わる者としての命懸けの抵抗が、終戦をめぐる泥沼の混乱から日本を救ったのです。」と切り出した。
 つづけて社説は、「先の大戦中、放送のみならず新聞も厳しい統制下に置かれます。
 軍部や特高警察が日々の紙面に厳しい目を光らせていました。
 そうした戦時中でしだが、本社にも抵抗を試みた先輩がいます。
 45年5月のドイツ降伏後、日本への空襲が激しさを増す中、富塚清東大教授が書いた「日本は必ず負ける」と題する評論が配信されます。その理由を理路整然と挙げ「一刻も早く戦争を終結させ、日本と日本民族の存続を図らなければとの論旨です。
 紙面編集担当の三浦秀文整理部長(後の本社社長)は掲載を命じます。
 部員は「こんな原稿を載せたら部長は銃殺、新聞は発行停止になる」と抵抗しますが、部長は「俺が責任を取る。俺が銃殺になれば済むことだ」と一喝、原稿は印刷工場へ回せれました。
 遠隔地に配達するため締め切り時間の速い「早版」が刷り上がると、査閲部長が血相変えて「この記事は何だ」と詰め寄り、記事の削除を命じて来ます。
 査察部とは、記事内容が軍部の検閲を問うるかどうか審査する部署です。
 しかし、三浦部長は泰然としてたばこをふかしながら、最後にこう命じます。
 「この記事はは(締切時間の遅い)後判で抜け。早版はこのまま刷って発送せよ」
 72年(昭和42)年12月に刊行された「中日新聞30年史)からの引用です。
 一部とはいえ、日本必敗論を掲載した新聞の刊行には、相当の覚悟が必要だったことでしょう。
 この評論を書いた富塚氏は航空エンジンや2サイクルエンジンの研究で知られる工学博士。科学者らしく戦況を冷静に分析し、本社を含めて多くの解説評論を寄稿していました。
 本社が発行していた「中部日本新聞」の45年6月8日朝刊にも「独逸はなぜ敗れたか」と題する記事が掲載せらています。
 この中で富塚氏は神ががり、排他主義、機動性欠如の三要因を挙げ、教育者らしく科学軽視、教育軽視を加えています。
 ドイツの敗因分析の形になっていますが、日本の軍部批判に他なりません。
 検閲をくぐりぬけるための工夫です。こうした記事を載せることで、軍部や特高に一矢報いようとしたのでしょう。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「新聞は戦時中、大本営発表の誤った情報を垂れ流し、真実を伝えず、国民の戦意高揚の一翼を担いました。
 いかなる事情があるにせよ、日本を誤った方向に導いた責任をのがれるものではありません。
 しかし、戦争という一個人ではあらがい切れない歴史の中で、命懸けの抵抗を試みた報道人がいたことも事実です。私たちにはその気概を受け継ぐ責任があります。
 新聞は今、緊張感を持って権力と向きあっているのか。
 権力とメディアとの関係が厳しく問われている今だからこそ、自問し続けなければなりません。
 戦争という歴史を繰り返さないために。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
  NHKの放送員・館野守男さんは、開戦の詔勅を朗読し、「宮城事件」で反乱軍から放送を守り、戦後はNHKのアメリカ総局長・国際局長になったこと、
 45年5月ドイツ降伏後、富塚清東大教授が書いた「日本は必ず負ける」と題する評論を、三浦秀文整理部長は掲載を命じ、新聞を発行したとのこと、等々を知ることができた。
 体を張って、信念を通す。凄いことだ。国中狂っている中で、なかなかできることではない。
 また、社説は「新聞は戦時中、大本営発表の誤った情報を垂れ流し、真実を伝えず、国民の戦意高揚の一翼を担いました」と反省しております。東京新聞の反省を、すべての新聞社もしてほしいと思った。 
 
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by sasakitosio | 2016-08-15 06:35 | 東京新聞を読んで | Trackback