憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

生の無条件の肯定 <「いない方がいい命」など一つもない!命は存在していることに意味がある!>

 8月7日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という欄がある。
 筆者は、関西学院大学准教授・貴戸理恵氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「相模原の知的障がい者施設で利用者19人を刺殺する事件が起きた。
 この施設の元職員である加害者は
 「障害者なんていなくなればいい」
 「意思疎通ができない人たちは幸せをつくれない」
 などの発言を繰り返しているという。
 このような差別を許す社会であっては絶対にならない。今あらためて言葉にする必要を強く感じる。
 「いない方がよい命」などない、と。
 障害に有無にかかわらず、ただ「生きること」自体が尊いのだ、と。
 加害者の差別発言を「身勝手な理由」など個人の異常性に帰する報道もある。
 だが、「役に立たない人間に価値がない」というメッセージは、この社会にあふれている。
 たとえば、今野晴貴さんの著書「ブラック企業」には、新入社員を「会社の利益にならない人間以下のクズ」などと罵倒する会社役員が登場する。
 ここまででなくとも、就職活動を通じて「能力の低い人間は競争に負けて当然」とする自己責任論を内面化していく若者は、ありふれた存在だ。
 こうした考え方と「役に立たない存在は生きる価値がない」とする発想までの距離は近い。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「「なにかができるかできないにかかわらず、生きること自体が尊い」という価値を社会で共有する倫理的な態度として選び取りたい。
 これは絵空ごとではない。
 事件の加害者は「意思疎通のできない人」を狙ったというが、「意思疎通ができない」かに見える存在は、障害がある人だけではない。
 たとえば、赤ん坊や老人。生まれて来ては死にゆくそうした人を受けいれずには、人間の社会は回らない。
 もっと言えば、自然の猛威や豊かさなど、世界はそもそも意図を解釈できないもので満ちている。
 人間中心の思考と能力主義に侵された私たちは 、まずそのことを認識し直す必要がある。
 「意思疎通」とは何かという問題もある。
 幼児と毎日触れ合う保育者は、泣き方ひとつで何が不快か聞き分ける。介護者は利用者のまばたきや足の指の筋肉の動きによってその意思をくみ取る。「意思疎通」の成立は、情報を発する人の「能力」だけでなく、受け手の「聞き耳」や[見る目]にもかかって来るのだ。
 確かに、知的障害などのため「意思疎通に人一倍の時間と労力がかかる人」はいるだろう。
 それならば、周りが時間と労力をかけること、またはそれを可能にするゆとりを持つことで対応できる。
 一人の人間の存在の重みを、効率の良さなどよりも大切にする社会を目指せばよい。 」と指摘した。
 最後に筆者は、「「生を肯定する倫理へ」を著した野崎泰伸氏は「障害者の問題は<私たちの>問題である」としながら、「障害があるだけで人間扱いされないような社会に、あなた自身も、私も住んでいることを、あなたや私はどう考えるか」と問う。それを嫌だと思い、変えたいと思う人は、本人と家族だけではないはずだ。
 事件を受けて、知的障害がある人と家族の団体が声明をだした。
 「もし誰かが「障害者はいなくなればいい」なんて言っても、私たち家族は全力でみなさんのことを守ります」
 本来ならば、私たちの代表が言わなければならないのだ。
 「差別は絶対ゆるしません。社会として全力で守ります。安心して堂々と生きてください」と。」として締めくくった。 
 読んで勉強になった。
 筆者指摘の「自然の猛威や豊かさなど、世界はそもそも意図を解釈できないもので満ちている。人間中心の思考と能力主義に侵された私たちは、まずそのことを認識しなおす必要がある」、
 「「意思疎通」の成立は、情報を発する人の「能力」だけでなく、受け手の「聞く耳」や[見る目]にもかかってくるのだ。」、等の指摘はよく理解出来た。
 そこで、自分が社会によって育まれていることに気付かず、自己中心的な考え方をする人が誕生しないためにはどうすればいいのだろうか?自由と個人主義と民主主義を維持しながら。
 
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by sasakitosio | 2016-08-11 06:53 | 東京新聞を読んで | Trackback