憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

決して忘れてはならない <世界へ広げたい広島の祈り!!二度と核戦争が起きないように!!>

 8月6日付朝日新聞朝刊15面下に、「風」という欄がある。筆者は、ヨーロッパ総局長・石合力氏だ。今日は、の筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「ポーランド東部ビアウィストックは、人工言語エスペラントを考案したザメンホフの出身地で知られる。
 ソ連の支配下だったこの街に1941年、ナチスドイツが進攻し、当時人口約10万人の6割を占めたユダヤ系住民らはゲットー(居住区)に隔離された。
 彼らが貨車に乗った引き込み線が今も残る。
 行き先はアウシュビッツなどの強制収容所だった。
 ゲットーから収容所に入りホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を生き延びたサミュエル・ピサールの名を知ったのは、3月の東京での演奏会がきっかけだった。
 エリアフ・インバル指揮の東京都交響楽団が演奏したバーンスタインの交響曲3番「ガデッシュ」。
 ユダヤ教の鎮魂の祈りに合唱と朗読が重なり合う大曲だ。
 彼はその朗読テキストの作者だった。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「71年前の45年、16歳だったピサールは収容所から脱出し、森をさまようなかで米軍の戦車に救われた。
 家族全員を失った彼は、国外にいた親戚を頼り、フランス、豪州から米国に渡ってハーバード大へ。
 ケネディ政権の補佐官や国際弁護士としても活躍した。後に親友になるバーンスタインは自作テキストに飽き足らず改訂版を依頼した。
 テキストは語る。
 「鉄の扉が閉じられた後、残された命はわずか3分。その中で彼らは力を振り絞り、壁に爪を立てて言葉を刻んだのです。(ネバー・フォーゲット)!」と」
 改訂版が03年に初演された後もピサールは推敲を重ねた。
 過激派のテロ、民族浄化、核兵器・・・・。
 新たなホロコーストにつながりかねない世界の脅威を加え、演奏会では自ら語り役を務めた。
 その彼が東京公演を前にこだわったのは、テキストに
「ヒロシマ」を盛り込むことだった。
 だが、昨年1月にパリで倒れ、その年の7月に86歳で帰らぬ人となった。闘病中に改定した「ヒロシマ、ナガサキ」を加えた新版は講演の当日、彼の妻と娘の語りで演奏された。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「ホロコーストの生存者が何故ヒロシマなのか。その理由を直接知る人物がオバマ政権の中枢にいた。
 アントニー・ブリンケン国務副長官(54)である。
母がピサールと再婚し、2人の下で育った。
 4月に来日した際、私にこう語った。
 「継父は、、ひとつの集団が別の集団を根絶やしにするというジェノザイド(集団殺害)を体験した。彼は核兵器には、想像を絶するほど大きな規模で同じことができる可能性があると考えていたのです」
 81年、ピサールは一家を連れて広島を訪れました。まだ10代後半だった副長官にとって、原爆資料館や爆心地への訪問は衝撃だったという。
 「印象が深かったのは日本人が未来を見すえ、二度と核戦争が起きないようにしようとする
態度でした。そのことは私の心の中に何年も残り続けました」
 5月11日にパリで開かれたピサールの追悼式には、歴史的な広島訪問を控えたオバマ大統領がこう言葉を寄せた。
 「「カデッシュ」に込められた力強いメッセージには、彼の理想が反映されている。彼の精神は世代を超えて引き継がれるだろう」」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
  アントニー・ブリンケン国務副長官(54)が筆者に、「継父(サミュエル・ピサール)は、ひとつの集団が別の集団を根絶やしにするというジェノサイド(集団殺害)を体験した。彼は核兵器には、想像を絶するほど大きな規模で同じことができる可能性があるとかんがえていたのです」と語ったとのこと。、
 また、アントニー・ブリケン国務副長官は、10代後半に、原爆資料館や爆心地への訪問で、
 「印象深かったのは日本人が未来を見すえ、二度と核戦争が起きないようにしようとする態度でした。そのことは私の心の中に何年も残りつづけました」と語っている」ことを初めて知った。
 ホロコーストを逃れたサミュエル・ピエール、彼に育てられ、10代後半にヒロシマを訪れたアントニー・ブリケン副長官だったからこそ、気づきがあった「ヒロシマのネバー・フォーゲット!」ではなかったか、と思った。
 この気づきを、世界へ、未来へ、拡げたい。
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by sasakitosio | 2016-08-10 06:58 | 朝日新聞を読んで | Trackback