平和の祭典・20年東京オリンピック<平和憲法の下での、暮らしと文化を、世界へ発信しよう!!>
2016年 08月 08日
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「私の記憶は1964年の東京オリンピックの辺りから始まっている。
閉会式で各国の選手が当初の予定を無視して、楽しそうに入り乱れて行進したことに、子供ながら世界中の人が仲良くなれるのだと感動した。
数年前、テレビの「ブラタモリ」で今はなき国立競技場を取り上げたとき、タモリが彼のお父さんも閉会式を見て、戦争はいかんとボソっとつぶやいたと話したことが印象的だった。たぶん日本中の人が同じ思いを抱いたのだろう。」と切り出した。
つづけて筆者は、「リオデジャネイロオリンピックが始まった。
オリンピックには巨大な利権が絡み、ドーピングなどの国ぐるみの不正も露呈していて、手放しで礼賛するわけにはいかないことは承知している。
だが、選手たちの試合にかける真剣さには、いつの時代にも偽りはないだろう。
力を尽くす選手に理屈抜きで感動する。」と指摘した。
最後に筆者は、「このところ、世界中でテロや戦乱が相次いで、形を変えた世界戦争が始まったのではないかとさえ思える。
だからこそ、オリンピックを見て、人間は平和の裡に共存できることを確認したいと思う。
開会式でも、ブラジルがさまざまな人種が共存する多様で寛容な社会であることをアピールしていた。
4年後の東京オリンピックで、私たちはどんなメッセージを世界に向けて発信するのか。
楽しい宿題にしたい。」として締めくくった。
読んでためになった。
「選手たちの試合にかける真剣さ」には、いつも感動している。
筆者の「4年後の東京オリンピックで、私たちはどんなメッセージを世界に向けて発信するのか。楽しい宿題にしたい」との指摘は、実にいいと思った。
日本に世界中から、多くの人々が自費で来日し、世界中のメディアが日本から発信し、世界中の人々の目や耳や心が日本に向けられる。
これは、日本の文化を世界に発信する、絶好のチャンスだ。
なかでも、平和憲法を世界へ、世界の未来へ、発信するまたとない機会ではないか、と思った。
敗戦後、廃墟の中から、広島・長崎では原爆の破壊のなかから、平和憲法を守りながら70年余、今の日本がある。今の日本の自然、今の日本人の暮らし、それらのすべてが日本の誇りうべき「歴史」であり、「文化」であると思っている。
まずは、それの根底にある「日本国憲法」を東京オリンピックの機会に、世界に発信できないものか、とも思っている。