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by sasakitosio

自動運転車の未来  <失業が出る?自動車保険が不要に?自動車メーカーの凋落?そりゃ大事件だ!?>

 7月15日付朝日新聞朝刊15面に、「月刊安心新聞」という欄がある。筆者は、千葉大教授・神里達博氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「今年5月、米国で自動運転機能を備えた車が、前方を横切ったトレーナーと衝突し、運転者が死亡するという悲劇が起きた。
 車を製造したのは電気自動車ベンチャーの「テスラ」で、今のところ、原因は調査中とのことだ。
 これは自動運転で犠牲者が出た初のケースと考えられるため、世界的な注目を集めているが、やはり気になるのは、自動車運転における事故の責任が誰にあるのか、という点であろう。
 まず現在のところ、いかなる自動運転モードであっても、運転の責任は基本的に運転者に帰着することになっている。もちろん、自動制御システムやセンサーの故障などにより事故が起きたことが明らかになれば、「欠陥車」という扱いになり、場合によっては製造物責任法などに基づいてメーカーの責任が問われるだろう。 実際、国産車でも自動ブレーキの誤作動による物損事故の報告もあり、リコールが適用されるケースがすでに出ている。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「しかしおそらく、より大きな問題は、今後、自動運転の性能が向上し、本格的に社会に実装されていくプロセスで起きてくるだろう。
 米国運輸省道路交通安全局(NHTSA)は、自動運転を0~4の5段階レベルに分けて定義している。
 今回事故を起こした「モデルS」は「レベル2」に該当し、ハンドル操作・減速の両方が自動化されているが、運転者が常に動きを監視し、何かあれば「直ちに」運転を変わることが義務づけられる。
 これが「レベル4」になると、完全に自動化され、運転者は不要になる。
 2025年以降に実現すると予測されているが、早ければ10年以内、決して遠い未来の話ではない。
 レベル4の車が公道を走ることが許されている未来においては、事故はきわめて少なく、仮に起きてもその責任はユーザーではなく、メーカーなどに帰着されるはずだ。
 だが、レベル2~3の段階では、さまざまな問題が予想される。たとえば、ある程度自動運転車が普及してくると、歩行者は「最近の車は人を避けてくれる」と安心してしまうかもしれない。
 しかし、そこに旧型の車が混じっていると、人身事故のリスクはかえって高まるだろう。
 また、自動運転中に起きたか何らかの問題を人工知能(AI)が回避しようとした結果、別の事故を引き起こした場合、誰に責任を問うのが妥当だろうか。
 あるいは緊急事態において、運転車の命と歩行者の命は、どちらを優先されるようにプログラムすべきなのか。
 助かる人の数が多くなるようにすべきか、優先的に救われる人を設定すべきか。このように、少し考えるだけで、多くの難問が浮かび上がる。とりわけ人口密度が高い地位きでは、かなりの混乱が生じる。」と指摘した。
 さらに筆者は、「ただし、このような予想は、新しい技術に対して、社会の側が基本的に「変わらない」という条件での想定である。
 逆に、自動運転車を導入しやすいように、街や道路の在り方を変えてしまう、という動きが出てくる可能性もあるだろう。
 たとえば今後、自動運転へのニーズが」高まる要因の一つとして、日本も含めた先進諸国の高齢化がある。
 高齢ドライバーの運転時の安全確保は、すでに大問題である。
また「買い物難民」など、高齢者の移動手段についても、社会問題化している。
 自動運転はこれらの解決に寄与しうるだろう。
 さらに、渋滞緩和や燃費向上にも役立つはずだ。
 このようなニーズが高まっていくならば、今後は社会システムの側を改造していくという方向に進むかもしれない。
 これは、道路や他の交通システムのみならず、都市の構造全体にかかわる。社会資本の再設計を意味する。その影響は非常に大きなものとなるだろう。
 だが当然、それが私たちにとって歓迎すべき事ばかりとは限らない。
 仮にレベル4の自党運転が実現したとしよう。
 まず、運転を生業とする人たちの雇用が失われる。これ自身、重大な社会問題だが、それすら問題の一部である。
 たとえば、事故が起きなくなれば、自動車保険は不要になる。
 又自動運転の普及に伴って電気自動車の割合も増え、ガソリン関連産業も縮小するだろう。
 何よりも、自動運転の世界で覇権を握るのが、現在競争力を維持している自動車メーカーである保証は、どこにもない。
 これは特に日本にとって深刻な事態だ。
 インターネット検索大手の「Google」が、自動運転に積極的な投資を続けていることは有名だが、それは、自動運転の本質が社会インフラのIT化であると理解しているからであろう。
 特定のIT企業が中心となって社会システム全体を丸ごとAIで管理し、自動車メーカーはいわば下請けとなる、といった可能性も否定できない。
それは通信の主戦場がスマートフォンに移行する際に、日本のメーカーの競争力が急速に失われていった時と似た状況が、「自動車」を舞台に、より広範囲で起ることを意味する。
 この事態への関係者の危機感は強く、各方面で検討が始まっている。
 今や、社会全体で将来の「自動運転社会」について考えるべき時期が来ているのではないか。
 その際に重要なのは、技術の進展にただ従属するのではなく、私たちにとってどんな社会が望ましいのか、衆知を集め、まずその姿をしっかり描くことだ。
 技術はいつも、私たちのためにある。このことを忘れてはならない。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「米国運輸省道路交通安全局(NHTSA)は、自動運転を0~4の5段階のレベルに分けて定義している。」とのこと、
 「「レベル4」になると、完全に自動化され、運転者は不要になる。2025年以降に実現すると予測されているが、早ければ10年以内、決して遠い未来の話ではない。」とのこと、
 「今後、自動運転へのニーズが高まる原因の一つとして 、日本も含めた先進諸国の高齢化がある」とのこと、
 「仮にレベル4の自動運転が実現したとしよう。まず運転を生業とする人たちの雇用が失われることが指摘されている」とのこと、
 「たとえば事故が起きなくなれば、自動車保険は不要になる。また、自動運転の普及に伴って電気自動車の割合も増え、ガソリン関連産業も縮小するだろう。」とのこと、
 「何よりも、自動運転の世界で覇権を握るのが、現在競争力を維持している自動車メーカーである保証は、どこにもない。これ特に日本にとって深刻な事態だ。」とのこと、等々を知ることができた。
 確かに、高齢化社会では、自動運転車への期待は大きい、自動運転が実現すれば、運転を生業とする人たちの雇用は奪われるかもしれない、と思った。ただ、技術の進歩は止まらないだろうから、社会全体で将来の「自動運転社会」について、考えるべき時期が来ているのではないか、との筆者の指摘は、その通りだと、思った。
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by sasakitosio | 2016-07-19 17:59 | 朝日新聞を読んで | Trackback