給付型奨学金 未来引き継ぐバトン <2016 参院選 東京新聞社説シリーズ(7.7)>
2016年 07月 08日
今日は、この社説を学習することにした。
まず社説は、「参院選で与野党を問わず、大学生らへの返還不要の給付型奨学金の創設を唱えている。公教育への投資で潤うのは未来である。それが議論の出発点になる。
日本学生支援機構が担う国の奨学金制度には、卒業後に変換せねばならない貸与型しかない。将来の収入見通しも立たないうちから多額の借金を強いられる。ローンの仕組みが深刻な問題を招く。
就職に失敗したり、薄給の仕事に甘んじざるを得なかったりすると、たちまち人生設計の重荷となる。若い世代は結婚や出産に及び腰になりかねない。」と切り出した。
続けて社説は、「それでも、1998年度に38万人だった利用者は、昨年度には134万人と約3.5倍にまで膨らみ、大学生の4割を占める。背景には、親の収入の低迷や学費の高騰が横たわる。
借金苦を忌避して、大学を諦める若者も跡を絶たない。親から子への貧困の連鎖をかえって固定化する要因にさえなっている。
学び手の資力は、もはや底を突き掛けているに等しい。返還義務のない給付型を求める声が高まるのも当然である。政治は実現への具体の道筋を論じてほしい。
公財政を投じる給付型の導入には、幅広い合意が欠かせない。
高等教育の恩恵にあずかる子のために、責任者である親が学費を賄うのは当たり前とする受益者負担論。貧しい家庭に生まれた子は、進学できなくても仕方ないみる自己責任論。まずはこうした意識を払拭したい。
公教育は本来、私的な消費財ととらえるべきではない。その利益は学び手個人にとどまらず、社会全体に広く還元されるからだ。
国立教育政策研究所の試算では、大学を出た人は、高卒者に比べて多くの税金を納め、失業は少なく、犯罪抑止力が強まる。公財政への貢献度は一人につき600万円余り増え、大学への公的投資額の約2.4倍の効果がある。」と教えてくれる。
最後に社説は、「公的投資を充実させ、家計負担を和らげたい。放置すれば、現代の知識基盤社会では貧富の格差が一層広がり、社会の持続可能性すら脅かされかねない。
元来、教育の目的は、平和や自由、民主主義、人権擁護を基調とする社会の発展のはずだ。憲法がすべての人に等しく学ぶ権利を保障し、国際人権規約が公教育の無償化を求めるゆえんだろう。
奨学金論議で問われているのは、目先の損得勘定ではなく、未来へのバトンの渡し方である。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「日本学生支援機構が担う国の奨学金制度には、卒業後に変換せねばならない貸与型しかない」とのこと、
「1998年度には38万人だった利用者は、昨年度には134万人と約3.5倍にまで膨らみ、大学生らの4割を占める。」とのこと、
「国立教育行政研究所の試算では、大学を出た人は、高卒者に比べて多くの税を納め、失業は少なく、犯罪抑止力が強まる。
公共財への貢献度は一人につき600万円余り増え、大学への公的投資額の約2.4倍の効果がある。」とのこと、等を知ることができた。
社説は、「憲法がすべての人に等しく学ぶ権利を保障し、国際人権規約が公教育の無償化を求めるゆえんだろう。」と指摘している。
子どもたちを教育することは、人類の継続的発展に不可欠なことだと思う。
家庭の経済的事情で、教育の機会が奪われることは、個人の不幸というより人類の損失だと思う。
子供の教育にかかる費用は、全額公的投資として、税で賄うべきだと思った。そのための応分の負担は喜んでしたいと思っている。