憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

銃捨てられぬ米国の深い淵<社会に恐怖、身辺に不安が、銃社会を支える!アメリカでは!?>

7月3日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に思う」という欄がある。筆者は、編集委員・福島申二氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「静かに置かれたラグビーボールはいささか色があせている。24年の歳月が、あの事件から経とうとしている。1992年(当時16歳)が留学先のアメリカで、銃で撃たれて死亡した。無言の帰国に涙しつつ、高校ラグビー部の仲間たちが寄せ書きした楕円のボールを、せんだって実家の居間で拝見した。
 米国で先月49人が亡くなる史上最悪の乱射事件が起きた。話をお聞きしたくて尋ねると、父の政一さん(69)は悲しげに声を曇らせた。
 「いつまでも同じ悲劇が繰り返される。あれからよくなるどころか、むしろ逆行している」と。
 ハローウインのパーティーで尋ねる家を間違え、玄関先で射殺された服部君の惨事は米国でも大きく報じられた。悲嘆を超えた御両親の熱心な署名活動もあって、事件の起きたバトンルージュ(ルイジアナ州)の名は一時、銃社会を変えようとする運動のシンボルにもなった。
 しかし事件から10年後、その町は別の事件で米国を騒がせる。
 女性ばかり狙った連続殺人事件が起き、身を守るために銃を持ち歩くよう知事が呼びかける事態になった。
 そのころ特派員だった筆者が取材に向かうと、ある銃器店ではポーチに入るぐらいの小型銃が短期間に約300丁も売れた。購入者の9割は女性だと聞かされた。店主はいった。
 「社会に恐怖があるときは、弱い人ほど銃を買うものだ」」と教えてくれる。
 つづけて筆者は、「店主は続けた。
 「銃を持てば女性も屈強な男と対等になる」
 「弾丸に性別はないからね」
 「銃を持つことは憲法が認めた尊い人権なのだ」。
 銃が米国では「平等をもたらすもの(イコライザー)と呼ばれることを、このとき知った。
 身辺に不安があれば、銃とは無縁だった人まで銃で身構える。
 いまや3億丁という銃が寝室の引き出しにまで潜む米国は、いわば万人が万人に対して銃を持ちあう(武器社会)だ。そして他人の持つ銃への疑心と恐怖は、人々にさらなる銃信奉へと駆り立てる。国家間の軍拡競争に通じる個人の心理だろう。
 あす4日は、アメリカ独立記念日を祝う。建国以来の合衆国憲法には「修正第2条」という条項があって、銃擁護派はこれを、個人の武器所有の権利を認めた「錦の御旗」として掲げる。
 大づかみに言えば、独立戦争の勝利は銃を取った人民(民兵)によってもたらされたという建国史に根ざした条項である。
 その修正第2条を「自由を愛する者の永遠のボデーガード」と称揚し、「これがある限り、悪が我々を征服することはできない」と高らかにスピーチした往年の名優、故チャールトン・ヘストンだった。私が在米したころ、こわもてで知られ政界に強い力を及ぼす全米ライフル協会の会長を務めていた。
 片や銃規制を求める側からは「ヘストンこそ地獄へ行け」といった罵声が飛んだものだ。
 武装してこそ自立した市民だという思想と、世界に類を見ないすさんだ銃社会の現実。
 さらに政治的な思惑も絡み合って、銃をめぐる問題は近年のアメリカの民意を二つに分断した。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「3年前,オノ・ヨーコさんがネットで「銃なき社会」を訴え共感を呼んだ。
 夫のジョン・レノンが凶弾に倒れた1980年以来33年間に、米国内で105万7千人以上が銃で殺されたと、血の付いた夫のメガネの写真とともに発信した。
 かくも多くが銃弾で息絶えた日常に、戦慄を覚える。服部君もその一人だ。
 「銃問題は不治の病のようなものでしょうか」
 問う私に、父親の政一さんは考えながら言った。
 「「核無き世界」と同じかもしれません。私たちの生きている間は無理でも、銃に怯えなくていい社会に、きっといつかは」
 政一さんは今も毎朝、起きると一番に仏壇に選考を立てる。観音開きの小さな骨箱に剛丈君の「喉仏の骨」がおさめてある。みせてもらった。真っ白だ。ものが言えるなら、彼はその喉からどんな言葉を発したいだろう。
 銃は捨てられず、銃が銃を呼ぶ。彼が好きだったアメリカの深い淵に向けて。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。「1992年の秋、名古屋市の服部剛丈君(当時16)が留学先のアメリカで、銃で撃たれて死亡した。」、それからもう24年もたったことに気付かされた。
 アメリカの銃器店の店主はいう、「社会に恐怖があるときは、弱い人ほど銃を買うものだ」と、
「銃を持てば女性も屈強な男と対等になる」と、
「弾丸に性別はないからね」と、
「銃を持つことは憲法が認めた尊い人権なのだ」と。
 「身辺に不安があれば、銃とは無縁だった人まで銃で身構える。いまや3億丁といわれる銃が寝室の引き出しにまで潜む米国は、いわば万人が万人に対して銃を持ちあう「武装社会」だ。
 そして、他人の持つ銃への疑心と恐怖は、人々をさらなる銃信奉へと駆り立てる。」との筆者の指摘で、アメリカの銃社会の根深さを教えてもたった、ような気がした。
 そして、ふと考えた「社会の恐怖」や「身辺の不安」を、一掃するのが「国家」「政治」の本来的な役割ではにだろうか?だとすれば、アメリカの国家は世界の警察官を自称しながら、国民の身辺の不安さえなくすことができず、「銃社会」を脱却できていないことが、よく分かった。
 その点は、日本国家の方が、国民に身の危険を感じさせない分、アメリカよりも優れているような気がした。

 
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by sasakitosio | 2016-07-07 19:42 | 朝日新聞を読んで | Trackback