憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

アベノミクスの前提 成長主義の妥当性こそ争点 <少子高齢化社会は低成長経済が必然!そうだったんだ!>

 7月1日付朝日新聞朝刊15面に、「異論のすすめ」という欄がある。筆者は、京都大学名誉教授・佐伯啓思氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「民主的な選挙は、政党や個人が争点を掲げて争う。
 今日ではおおよそ与党系、野党系の政党が争点をめぐって相互に相手を批判しあうのが通例である。
 争点をめぐる争いは有権者にとって選択を容易にするということであろう。数年前に民主党が政権についたときの選挙はマニフェストといわれ、極めて具体的な課題と実現可能なはずの政策手段が提示された。
 だがこのマニフェスト選挙に勝利した民主党政権の失敗により、さすがにマニフェストはなりをひそめた。
 しかし、それでも公約をめぐる争いとは民主政治の基本であるという認識はかわらない。
 一応はそういってもよい。
 しかし、ここに実は大きな落とし穴がある。ある問題が争点として提示されると、そもそもそれがどうして争点になるのか、というその前提は見えなくなってしまう.
さらには、争点化されない課題は、事実上、無視されてしまう。
 その上で、ひとたび争点ととして上程されてしまえば、後は、自己の主張の正当性を訴え、相手方をののしる。という「争い」が先行し、「争点」の「点」のあり方をめぐる論議などどこかへ吹っ飛んでしまう。
 確かにギリシャの昔からいわれたように、民主政治は「言論競技」に陥りやすい。
 そして今回の参院選擧でも私はその感を強くする。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「現在進行形のこの選挙においては、アベノミクスの成否が主要論点のひとつとされている。ひとたびそれが争点になれば、双方とも、ひたすら「言論競技の法則」に従って、自己正当化と相手批判の応酬になる。与党はアベノミクスの成果を強調し、野党はその失策を訴える。
 アベノミクスの評価は今は別にしておこう。
 ただそれを別にしても、確かなことは次のことだ。
 アベノミクスは、長期的に停滞に陥った日本経済の浮上をはかり、世界を覆う経済グローバリズムのなかで日本経済の競争力を回復し、再び成長軌道にのせることが目的だとされる。
 野党が唱えるのは、アベノミクスはその目的を達成していない、ということだ。
 つまり、日本経済の再活性化と成長軌道への復帰という目的が達成されていない、と批判する。
 所得格差の拡大による弊害が大きい、といっている。
 ではアベノミクスをやめるとして何があるのか、というと、その代替案はまったく打ち出せない。
 一方与党は、アベノミクスの成果を強調しつつも、それが当初のもくろみを実現できているかというと、まだ「道半ば」だとという。
 つまり期待通りの成果を上げていないという、にもかかわらず、さらなるアベノミクスの継続を唱えている。
 与党、野党ともまったく手づまりなのである。
 そして両党派とも、なぜアベノミクスが十分成果をあげえないか、という基本的な点を論じようとしない。いったい、どうしたことであろうか。
 根本的な問題は次の点にある。
 アベノミクスには、デフレを脱却し、グローバル経済のなかで競争力を確保すれば日本経済は成長する、という前提がある。
 だが、この前提はだとうだろうか。
 「失われた20年」といわれる。
 もしも「失われた」というなら、なぜそのような事態になったのであろうか。
 私には、それは小手先の政策論でどうにもなるものではないと思われる。
 停滞の20年をもたらした根本的な要因は、
 ひとつは、人口減少・高齢化社会への移行であり、
 ふたつめは、金融、ITによる急激なグローバル化である。
 人口減少・高齢化が現実的な事態になれば、当然ながら市場は拡大できない。
 高齢者への資産の偏在は消費を増加させない。
 また、グローバル化は企業を新興国との競争にさらすことで、物価とともに労働コストの圧縮をもたらす。 つまり、デフレ圧力となる。
 そして、そうゆう状況下にあって、国際競争力の確保という名目のもと、構造改革という市場競争主義路線を採用したのであった。
 だからこうなるだろう。もしも「失われた20年」からの脱却と成長経済を目指すならば、少なくとも、人口減少・高齢化対策を打ち、金融グローバリズムから距離を取り、市場競争中心の構造改革をやめるべきである。」と指摘した。
 最後に筆者は、「しかし、できることとできないことはあろう。人口減少・高齢化を食い止めることは難しい。グローバリズムもある程度は認めるほかない。
 おまけに、日本だけではなく、今日、世界中が先行き不安定で不透明な状態に宙づりにされている。
 英国のEU離脱をみても、米国の次期大統領候補をみても、中国の先行きをみてもそれは明らかで、この重苦しい不確実性が、個人消費も企業投資も伸び悩む理由の一つになっている。
 とすれば、無理に、成長、成長といわずに、むしろ低成長を前提にする方が現実的であろう。そして私にはそれが悪いことだとは思われない。
 日本ではすでに物的な財や資産という点ではかってなく豊かな社会になってしまった。「失われた20年」なのではない。低成長へ移行するのは当然のことであろう。そして、低成長経済は、過度な競争社会であってはならないし、グローバル経済に国家の命運を預ける経済ではない。
 それは、従来の成長主義、効率主義、競争主義という価値観からの転換を要するだろう。
 その価値観こそが本当は争点とすべきことではないのだろうか。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「停滞の20年をもたらした根本的な要因は、ひとつは、人口減少・高齢化社会への移行であり、ふたつめは、金融、ITによる急激なグローバル化である」との指摘、
 「「失われた20年」から脱却と成長経済を目指すならば、少なくとも人口減少・高齢化対策を打ち、金融グローバルリズムから距離を取り、市場競争中心の構造改革をやめるべきである」との指摘、
 「英国のEU離脱をみても、米国の次期大統領候補を見ても、中国の先行きを見てもそれは明らかで、この重苦しい不確実性が、個人消費も企業投資も伸び悩む理由のひとつとなっている。」との指摘、
 「日本はすでに物的な財や資産という点ではかってなく、豊かな社会になってしまった。
 「失われた20年」なのではない。低成長へ移行するのは当然のことであろう。」との指摘、等等は、よく理解出来た。
 そして筆者は、低成長経済は必然であり、そのためには、「従来の成長主義、効率主義、競争主義という価値観からの転換」が必要だと説く。
そうすると、我々は、現実は低成長経済の中にあるのに、高度経済成長の「かなわぬ夢」を見つづけてきたのだろうか。
 
[PR]
トラックバックURL : http://sasakitosi.exblog.jp/tb/23266222
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by sasakitosio | 2016-07-02 18:03 | 朝日新聞を読んで | Trackback