ビキニ核実験 事件は終わっていない <被爆被害者がいる限りは!!>
2016年 05月 18日
まず社説は、「1954年に米国がマーシャル諸島ビキニ環礁を中心に繰り返した水爆実験で、周辺近海にいて被災したとされる高知の元漁船員ら45人が、国家賠償を求めて高知地裁に提訴した。
ビキニの実験は静岡県のマグロ漁船・第五福竜丸の被曝で知られているが、ほかにも多くの日本漁船が近くで操業していた。
当時の調査でも、船体や魚、船員の身体から相当量の放射線が検出された。だが、国はその後、健康状態の追跡調査すらしてこなかった。
一部の被告はことし2月、労災申請にあたる船員保険の適用を申請した。事件から62年を経て元漁船員らが立ち上がったのは、「自分たちの被害を認めさせたい」と言う切なる思いだ。国は真摯に向き合うべきだ。」と指摘した。
続けて社説は、「まず問われるのは、当時の政治決着の是非だ。日米両政府は55年1月、「見舞金」として米国が7億2千万円を日本に支払、事件を「完全解決」することで合意した。
漁船が持ち帰った汚染魚に加え第五福竜丸無線長の急死が日本中に衝撃を与えていた。反核・反米運動の高まりを日米両国が強く懸念し、決着を急いだと見られている。
船員らが米国の責任を追及する道は閉ざされた。
国は放射能検査を打ち切った。
見舞金は廃棄魚の代償として漁業関係者に配られたが、船員らにはほとんど行き渡らなかったという。
日本は敗戦を経て、独立を回復したばかり。汲むべき事情はあったにせよ、「国民不在」の幕引きだった感は否めない。
国はその後、事件は解決済みとの姿勢を貫いた。
当時の放射能検査の資料も「ない」と言い続けたが、元船員らの支援団体が粘り強く要求すると、14年9月に延べ556隻の資料を開示した。誠実とは言い難いこうした対応が、元漁船員らの不信感を募らせた。
」と教えてくれる。
最後に社説は、「元船員代表の桑野浩さん(83)は54年の春ほぼ1カ月間、ビキニ周辺海域にいた。20人超の同僚は次々と早世し、生存は自身を含め数人という。桑野さんは「何が起きたかを国に明らかにしてもらい、同僚の墓に報告したい。なかったことにされたくない」と語った。
また多くの被災者が全国に埋もれている可能性がある。まず被害の全容をしっかり調べるべきではないか。
核実験による被害は「終わったこと」ではない。
放射線は目に見えず、浴びた疑いがあれば、いつまでも苦しめ続ける。
今回の裁判を機に、そういう核の本質も今一度考えたい。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「1954年に米国がマーシャル諸島ビキニ環礁を中心に繰り返した水爆実験で、周辺海域にいて被災し他とされる高知の元漁船員ら45人が、国家賠償を求めて高知地裁に提訴した」とのこと。
「日米両政府は、55年1月、「見舞金」として米国が7億2千万円を日本に支払、事件を「完全解決」と
することで合意した」とのこと。
「船員らが米国の責任を追及する道は閉ざされた。国は放射線検査を打ち切った。見舞金は廃棄魚の代償として漁業関係者に配分されたが、船員らにはほとんど行き渡らなかったという」とのこと。
「国はその後、事件は解決済みとの姿勢を貫いた。当時の放射能検査の資料も「ない」と言い続けたが、
元船員らの支援団体が粘り強く要求すると、14年9月に延べ556隻の資料を開示した」とのこと。
等々を初めて知った。
ビキニの放射能のニュースは、当時小学生だった自分は、ラジオやニュース映画でみたし、その時雨にぬれると「髪の毛が抜ける」と言ううわさが新潟県の小さな「村」にも広がっていたことを思い出した。
この問題の扱いが、日韓の従軍慰安婦問題と似ていることに気が付いた。政府間の「完全解決」、加害政府の「見舞金拠出」等等だ。
また、被災者の今日までの苦難、それを支援する人々、団体には、頭の下がる思いがした。
他国の政府が原因の「被害」の救済と、被害者の「国家」の対応と責任、が問われる難しい裁判だが、政府には「国際的な決着」をした「責任」があるはずだ。そして、政府には、被災者の救済に「誠心誠意」対応してほしいと思った。