憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

沖縄は憲法の埒外か <いえいえそうではありません。絶対に!!>

 5月15日付東京新聞社説に、沖縄の本土復帰のことが載った。
 今日はこの社説を学習することにした。
 まず社説は、「沖縄県はきょう本土復帰から44年の記念日です。県民を巻き込んだ凄惨な地上戦を経て苛烈な米軍統治へ。今も続く苦難の歴史を振り返ります。
 敗戦から4カ月後の1945年(昭和20年)12月、「改正衆議院議員選挙法」が成立し、女性の国政参加が認められました。翌46年(同21)年4月に戦後初の衆院選が行われ、日本初の女性議員39人が誕生します。
 今年は日本で女性が参政権を行使してから70年の節目でもあります。日本の歴史に新たな一歩を期す一方、このとき国政参加の道が断たれた地域がありました。」と切り出した。
 続けて社説は、「住民を巻き込んだ激しい地上戦の末、米軍の支配下に置かれた沖縄県と戦争末期に参戦した旧ソ連軍が不法に占拠した北方領土(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)です。
 改正法が付則で、沖縄県と北方4島については、勅令で定めるまでの間、選挙は行わないと決めていたからです。
 当然沖縄側は反発します。
 県選出の漢那憲和衆議院議員は改正法案を審議する委員会で、県民が先の大戦中、地上戦で多大な犠牲を強いられたことに言及して、こう指摘します。
 「沖縄県民といたしましても、帝国議会における県民の代表を失うことは、その福利擁護の上からも、また帝国臣民としての誇りと感情の上からも、まことに言語に絶する痛恨事であります。」
 しかし、沖縄側の訴えもむなしく法律は成立し、12(明治45)年から選出されていた県選出衆議院議員は途絶えてしまいます。
 52(昭和27)年4月20日に発行したサンフランシスコ平和条約により、沖縄県が正式に米国の施政権下に置かれる前に、沖縄県民は日本の国政から切り離されてしまったのです。」と教えてくれる。
 さらに社説は、「戦後初の衆院選は、日本の未来を切り開く新憲法を審議する議員を選ぶ選挙でありましたが、その「制憲議会」に沖縄県選出議員の姿はりませんでした。
 国民主権、平和主義、基本的人権の尊重、明治憲法に変わる新しい日本国憲法の理念、基本原理は軍国主義によって戦禍を強いられた当時の日本国民にとって輝かしいものだったに違いありません。
 ただ、沖縄県は日本国憲法の埒外に置かれ、日本の独立回復後も、苛烈な米軍統治下に置かれます。
 米軍は「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる強権的手法で、民有地を強制収容し、軍事基地を次々と建設、拡張しました。県民は米軍の事故や米兵らの事件・事故の被害に苦しめられます。
 県民の「自治」組織である琉球政府の上には、現地司令官の軍事権限委加えて行政、司法、立法の三権を有する琉球列島統治の最高責任者として高等弁務官が君臨しました。
 米陸軍軍人だったポール・キャラウエイ高等弁務官は「(沖縄の)自治は神話であり、存在しない」とまで言い放ちます。
 人権無視の米軍統治は憲法の理念には程遠い世界でした
 沖縄県民とって72(同47)年5月15日の本土復帰は「日本国憲法への復帰」でもあったようです。
 しかし、沖縄県では憲法の理念が完全に実現したとは、いまだに言えません。「憲法の埒外」「憲法番外地」とも指摘されます。
 沖縄県には在日米軍専用施設の約74%が集中し、さらに普天間飛行場(宜野湾市)の返還と引き換えに名護市辺野古に沿岸部に新しい基地を造ろうとしています。
 有事に出撃拠点となる基地の過剰な存在は憲法の平和主義や法の下の平等と相いれません。
 県内に多くの米軍基地がある限り、爆音被害や事故、事件はなくならない。
 憲法よりも米兵らの法的特権を認めた日米地位協定が優先され、県民の基本的人権は軽んじられているのが現状です。
 県民が衆院選や県知事選、名護市長選など選挙を通じて、辺野古移設に反対する民意を繰り返しても、日本政府は「唯一の解決策」との立場を変えようとしない。沖縄では国民主権さえ空洞化を余儀なくされています。」と教えてくれた。
 最後に社説は、「安倍晋三首相は夏の参院選で勝利し、自民党結党以来の党是である憲法の自主的改正に道を開きたいとの意欲を隠そうとしません。
 国民から改正論が彷彿として湧き上がる状況ならまだしも、世論調査で反対が半数を超す状況で改正に就く進むなら強引です。
 憲法擁護義務を課せられた立場なら、憲法理念が実現されていない状況の解消が先決ではないのか。
 沖縄県民の民意や基本的人権が尊重され、米軍基地負担も劇的に軽減される。
 沖縄で憲法の理念が実現できれば、国民が憲法で権力を律する立憲主義が、日本でも揺るぎないものになるはずです。」として締めくくった。
 読んで、大変勉強になった。沖縄に対して、自分の無知を深く反省した。
 「敗戦から4カ月後の1945(昭和20)年12月、「改正衆議院議員選挙法」が成立し、女性の国政参加が認められました」とのこと、
 「翌46(同21)年4月には戦後初の衆院選が行われ、日本初の女性議員39人が誕生した」とのこと、
 「改正法が付則で、沖縄県と北方4島については、勅令で定めるまでの間、選挙を行わないと決めていた」とのこと、
 「沖縄側の訴えもむなしく法律は成立し、12(明治45)年から選出されていた県選出の衆院議員は途絶えてしまった」とのこと、
 「沖縄県は日本国憲法の枠外に置かれ、日本独立回復後も、苛烈な米軍統治下におかれた」とのこと、
 「米陸軍軍人だったポール・キャラウエイ高等弁務官は「(沖縄の)自治は神話であり、存在しない」とまで言い放った」とのこと、
 「沖縄県民にとって72(同47)年5月15日の本土復帰は「日本国憲法への復帰」でもあった」とのこと、
 沖縄では「憲法よりも米兵らの法的特権を認めた日米地位協定が優先され、県民の基本的人権は軽んじられているのが現状」とのこと、等等を知ることができた。この社説は、日本国民全員が熟読し、沖縄の過去と今を理解する、絶好の資料だ、と思った。
 社説の「憲法擁護義務を課せられた立場なら、憲法理念が実現されていない状況の解消が先決ではないか」との指摘は、護憲派改憲派双方に言えることだと、思った。 
 
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by sasakitosio | 2016-05-17 06:42 | 東京新聞を読んで | Trackback