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by sasakitosio

仕事が人間を頽廃させる <仕事は生きがいでは?>

 5月1日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という欄がある。筆者は、哲学者・内山節氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「私の家のある群馬県の山村、上野村はいま例年より早い春を迎えている。
 4月中旬にはソメイヨシノやしだれ桜が咲き、月末には山桜も散り始めた。ワラビや山ウド、フキなどが姿をみせている。子育ての時期が近づいて、とりたちも忙しくなってきた。
 村の暮らしは案外忙しい。畑仕事をしたり、山菜を採りに行ったり、春祭りもあれば共同作業もある。最近では、土日にさまざまな企画も行われている。
 面白いのは、それが仕事なのか村の暮らしなのかが、よく分からないことだ。仕事だと言えば仕事、それが村の暮らしだと言えば暮らしなのである。
 伝統的な社会では、すべてのことが何となく一体化し、それらと結ばれながら地域文化や地域社会も作られている。山の神信仰や水の神信仰のような土着な信仰もそれらと結んでいる。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「それらが伝統的な「生きる世界」のかたちだった。この点では、世界中変わることはない。ところが近代的な社会がつくられていくち、このような一体的な世界は壊れていく。
 仕事は仕事、
 暮らしは暮らし、
 文化は文化、
 社会は社会になったのである。
 そのことによって、暮らしや文化、社会から独立したものとしての職業が成立した。そして、その変化が、職業倫理を問わなければならない時代を生むことになった。
 伝統的な社会では、職業倫理は自然に形成されていた。仕事は仕事以外の要素と結ばれていたから、仕事に対する考え方も、総合的につくられたのである。暮らしや社会を壊すような仕事はしてはいけないし、仕事の中に文化や、ときには土着的な信仰も内蔵されているのだから、そういう結びつきが自然に職業倫理を成立させていた。
 とこらが仕事が仕事だけで独立したものになると、仕事の都合、仕事の論理が独り歩きするようになったのである。
 こうして近代社会になると、自分や自分の企業の利益しか考えない人が生まれてきた。さらには誠実に仕事をしているつもりでも、自分の職業だけの狭い世界の発想で行動し、結果的には社会を壊していくような現実も発生するようになった。
 事実上の粉飾決算をおこなっていた東芝、燃料データをごまかした三菱自動車、ブラック企業的経営をおこなう経営者、パナマ文書に見られる税からのがれようとする人たち、不祥事を繰り返す政治家、そして原発の危険性を無視しようとする人たち。私たちの社会は、そんな人たちがあふれるようになってしまった。」と指摘した。
 最後に筆者は、「職業は、職業以外の世界との結びつきを失ったとき、職業だけが独り歩きするようになり、頽廃していく。その結果たえず職業倫理の重要性が語られ、しかし現実には、倫理観の欠如した事件が頻発しつづける。そんな時代を私たちは迎えている。
 そのことに気づいている人たちは、自分の仕事が社会や暮らし、文化と結ばれている世界をかくりつしようとして、新しい仕事づくりをはじめ、あるいはボランティア活動などに力を注ぐようになってきた。企業でも従業員の社会的貢献 活動に、本気で取り組むところが生まれはじめた。 放置すれば仕事が人間を頽廃させる不幸な時代を、私たちは直視ぜざるを得なくなっている。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「伝統的な社会では、職業倫理は自然に形成されていた」とのこと、 
 「近代社会になると、自分や自分の企業の利益しか考えない人生まれてきた。さらには誠実に仕事をしているつもりでも、自分の職業だけの狭い世界の発想で行動し、結果的には社会を壊しいくような現実も発生する」とのこと、等を教えてもらった。
 現実に起きている
 「東芝の粉飾決算」、
 「燃料データごまかしの三菱自動車」、
 「ブラック企業的経営を行う経営者」、
 「パナマ文書に見られる税からのがれようとする人たち」、
 「不祥事を繰り返す政治家」、
 「原発の危険性を無視しようとする人たち」、は倫理と職業が乖離している人たちであることを、教えてもらった。思うに、反社会的企業は、今繁盛しているように見えても、必ず社会の自浄力で消滅すると思うのだが?
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by sasakitosio | 2016-05-05 17:20 | 東京新聞を読んで | Trackback