若者よ声をあげよう <格差解消を!教育の無償化を!>
2016年 04月 16日
まず社説は、「学費を心配せずに、大学へ行けないか。もしそうなれば、いわゆる“貧困の連鎖”を断ち切る大きな一助になる。次世代に借金をを背負わせ、学びの門戸を狭めていては、日本の未来は開けまい。
だれにでも等しく教育を受ける権利を、憲法は保障している。それなのに、家庭の経済力が乏しい若者たちには、いわば学ぶ機会と引き換えに、多額の借金を強いるのが国の奨学金制度である。
これに対し、与野党を問わず、返済不能の給付型奨学金の創設を唱える声が高まってきた。
参院選を前に、初めて投票権を手にする若年層に向けて訴える狙いがあるのかもしれない。
東京や愛知などの弁護士会や大学教員、若者たちの奨学金問題対策全国会議は、給付型導入を選挙の争点にしようと声を上げている。」と切り出した。
つづけて社説は、「いまや大学生らのおよそ4割は、日本学生支援機構を通じて国の奨学金に頼っている。親の収入の増える見込みが薄いのに、学費は上がる一方だからだ。
大学の年間の授業料だけをみても、平均して私立は約86万円、国立は約54万円かかる。
殊に国立は9万6千円だった40年前の6倍近くに及ぶ。当時は9万前後、今は20万ぐらいの大卒初任給に照らせば、いかに高騰しているかがわかる。
最大の問題は、国の奨学金には有利子枠と無利子枠の貸与型しかないことだ。有利子枠が約7割を占め、実質はローンである。
社会を出てから収入が不安定な非正規雇用などに甘んじ、返済に窮する若者たちは多い。
本紙の年頭連載「新貧乏物語」が紹介したように、風俗店で働いたり、自己破産したりするケースまである。
滞納すれば、延滞金の上乗せはもちろん、個人信用情報機関のブラックリスト登録から強制執行まで取り立ては厳しい。将来の負担を嫌い、大学進学を諦めるという本末転倒の事態も生じている。」と指摘した。
最後に社説は、「国は、卒業後の収入に応じて返済額を増減する新しい奨学金を来年度から採用する。
でも、債務を負うことに変わりはない。抜本的な救済策とはいえまい。
就職先の見通しも立たないうちから、借金を余儀なくさせる仕組みが問題なのだ。返済の負担は結婚や出産に響き、少子化や人口減少の要因にもなっている。
世界的にみて、日本は国内総生産に占める高等教育への公的支出割合が低すぎる。
まずは給付型奨学金の実現をふくめ、未来のための教育財源を確保するべきだ。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「「大学の年間の授業料だけをみても、平均して私立は約86万円、国立は約54万円かかる」とのこと、
「いまや大学生らのおよそ4割は、日本学生支援機構を通じて国の奨学金に頼っている」とのこと、
「将来の負担を嫌い、大学進学を諦めるという本末転倒の事態も生じている」とのこと、等を知ることができた。自分の学生の頃は、親が必要最低限は仕送りをしてくれ、学費のためのアルバイトはしないで済んだ。いま思えば、親の期待と努力に頭が下がる。
卒業時の社会は、右肩上がりの高度経済成長の過程で、就職してすぐに3年続けて30%以上のベースアップがあった。だから、奨学金の返済に何の苦も感じないで来た。
そこで、自分は子供たちにも、アルバイトの禁止を宣言し、最低限の仕送りをした。
しかし、平成のバブルがはじけてこの方、デフレが続いている。年金暮らしには物価が安いので良いが、現役の労働者には給料のアップが「ないかあっても少ない」期間が続いているので、明るい展望が開きにくい今日だ。
それが、子どもたちの教育にしわ寄せとなって表れている。奨学金の返済の苦しさからの解放を餌に、入隊を勧誘する国もあると聞く。給付型の奨学金の実現は、若者の幸せと家族の安心につながること必定だ、と思った。