生殖医療と商品化
2016年 04月 09日
きょうは、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「昨年、他人の人工授精に卵子を提供した米国人女性が報酬が低すぎるとして集団訴訟を起こした。報酬は卵子の対価ではなく提供者の苦痛の補償とする倫理規定で上限があるからだが、実態は違う。
大学内で「高身長で勉学にもスポーツにも秀でた女性へ数百万円相当で卵子を求める広告が出されるなど、独仏や日本と異なり米国の多くの州では卵子売買や商業的代理母は野放しだ。」と切り出した。
つづけて筆者は、「受精・妊娠・出産・育児という連続した過程が医療技術で分解可能になると、子育て願望と健康リスク無視の利得願望を結び付ける仲介業が現われ一大事業となる。
卵子、胚、妊娠・出産の労働、親権等が商品になるのだ。卵子提供者、代理母、親権者の3人の母親を持つ子どもも出てくる。
米国では商品化の現実に押されて法的規制と部分的解禁を求める主張が勢いを増す。卵子提供や代理母契約は市場取引と贈与の中間であり、報酬は利他的行為への「お礼」とする議論もある(「法と社会規範」派)。」と指摘した。
最後に筆者は、「医療の革新で堰を切られた「子供を持ちたい」という願望は、大きな渦となって医療現場だけでなく人々の家族観や生命観まで変える力をもつ。同時に、女性身体の商品化、困窮女性の搾取、神聖な「授かりもの」の商品への引き下げ等の問題が突きつけられる。」として締めくくった。
読んで、不思議な感じがした。
「卵子提供者、代理母、親権者の3人の母親を持つ子どもも出てくる」ことになるとのこと、法律上の親子関係がややこしくなり、相続関係はどうなるのだろうか?
何よりも、神聖な「授かりもの」が商品に引き下げられることは、「人間とは何か」の新しいテーマがまた一つ増えた感じだ。