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by sasakitosio

高浜原発に停止命令 フクシマを繰り返すな

 3月10日付東京新聞社説に、高浜原発3・4号機に対する「大津地裁での決定」の事が載った。
 今日はこの社説を学習することにした。
 まず社説は、「稼働中の原発を司法が初めて止める。関西電力高浜3.4号機の安全性は不十分だからと、国民の命を守る司法からの重いメッセージと受け止めたい。
 3.11から5年を前に、司法の良識を見たようである。住民の安堵の声も聞こえてくるようだ。
 3.11後、再稼働した原発の運転の可否をめぐるはじめての司法判断は、原発は「危険」と断じただけでなく、事故時の避難計画策定も十分でないままに、原発の再稼働を「是」とした原子力規制委員会の[合理性]にも、「ノー」を突きつけた。
 大津地裁の決定は、高浜原発3.4号機が、そもそも危険な存在だという前提に立つ。
 その上で、最大の争点とされた基準地振動(耐震設計の目安となる最大の揺れ)に危惧すべき点があり、津波対策や避難計画についても疑問が残るとし、住民の「人格権」が侵害される恐れが高い、と判断した。
 昨年暮れ、福井地裁が危険性は「社会通念上無視し得る程度まで管理されている」と切り捨てて、同地裁が下していた両機の運転差し止めの判断を覆したのとは、正反対の考え方だ。
 一昨年の11月、大津地裁も「避難計画などが定まらない中で、規制員会が早急に再稼働を容認するとは考え難く、差し迫る状況ではないと申し立てを退けていた。
 ところが、規制委は「避難計画は権限外」と、あっさり容認した。」と切り出した。
 つづけて社説は、「今回の決定からは、そんな規制委への不信さえうかがえる。危険は現に差し迫っているのである。
 住民の命を守り、不安を解消するために、いま何が足りないか。
 3.11の教訓を踏まえて、大津地裁は具体的に挙げている。
 △建屋内の十分な調査を踏まえた福島第一原発事故の原因究明
 △事故発生時の責任の所在の明確化
 △国家主導の具体的な避難計画
 △それを視野に入れた幅広い規制基準――。
 私たちが疑念してきたことでもある。
 県外住民からの訴えを認めたことで、原発の“地元”を立地地域に限定してきた電力会社や政府の方針も明確に否定した。
 そしてその上で言い切った。
 「原子力発電所による発電がいかに効率的であり、コスト面では経済上優位であるとしても、その環境破壊の及ぶ範囲は我が国でさえも超えてしまう可能性さえある。
 単に発電の効率性をもって、これらの甚大な災禍と引き換えにすべき事情であると言い難い」
 公立より安全、経済より命―――。
 憲法が保障する人格権に基づいて住民を守るという基本への回帰。司法の常識が動いた。
 5年前、東日本大震災による福島第一原発の事故が起きる前まで、司法は原発事故と真剣に向き合っていたと言えるだろうか。
 「起きるはずがない」という安全神話に司法まで染まっていたのではないだろうか。
 震災前までは多くの原発訴訟の中で、2003年もんじゅ訴訟控訴審(名古屋高裁金沢支部)と06年の滋賀原発訴訟一審(金沢地裁)の二つの判決以外は、すべて原告が負け続けていた。
 この二つの判決も上級審で取り消され、原告敗訴に終わっている。原発差し止めーーという確定判決は一つも存在しなかった。」と指摘した。
 最後に社説は、「ただ、「レベル7」という福島原発の事故を目の当たりにして、司法界でも過酷事故は抽象論から具体論へと変質したはずだ。
 司法は原発問題で大きな存在だ。経済性よりも国民の命を守ることの方が優先されるべきなのは言うまでもない。司法が国民を救えるかーー。
 現に動いている原発を止めるーー。重い判断だ。
 しかし、国会、行政とともに三権のうちにあって、憲法のいう人格権、人間の安全を述べるのは司法の責務に違いない。
 繰り返そう。
 命は重い。
 危険が差し迫っているのなら、それを断固止めるべきだ。
 対策も不十分のままに、
 40年を超える老朽原発の再稼働が認められたり、 
 再稼働条件であるはずの免震施設を建設する約束 が反故にされてしまったり、
 規制委の審査にパスした当の高浜4号機が、再稼働直前にトラブル起こしたりーーー。
 再稼働が進むのに比例して、住民の不安は増している。
 規制委は、司法の重い判断を受け止めて、審査の在り方を大きく見直すべきだ。
 政府は福島の現状も直視して、再稼働ありきの姿勢を根本から改めるべきである。」として締めくくった。 
 読んで勉強になった。
 「住民の命を守り、不安を解消するために、今何が足りないのか。3.11の教訓を踏まえて、大津地裁は具体的に挙げている。
 △ 建屋内の十分な調査を踏まえた福島第一原発事故の原因究明
 △ 事故発生時の責任の所在の明確化
 △ 国家主導の具体的な避難計画
 △ それを視野に入れた幅広い規制基準―――。
 私たちが懸念してきたことでもある。」とのこと、
 「県外からの訴えを認めたことで、原発の”地元“を立地地域に限定した電力会社や政府の方針も明確に否定した。」とのこと、
 大津地裁の決定は「原子力発電所による発電がいかに効率的であり、コスト面では経済上優位であるとしても、その環境破壊の及ぶ範囲は我が国さえも越えてしまう可能性さえある。単に発電の効率性を持って、これらの甚大な災禍と引き換えにすべき事情であるとは言い難い」と言い切った」とのこと、等をはっきり知ることができた。内容的には、特異なことは何もない、その内容が、東電や政府や規制委の言い続けるところと、違うということだと思った。
 社説の「現に動いている原発を止めるーー。重い判断だ。しかし、国会、行政とともに三権のうちにあって、憲法の人格権、人間の安全を述べるのは司法の責務に違いない。」との指摘は、その通りだと思った。
 最高裁が、憲法の番人の役割を果たせなくて、地裁がかろうじてその責務を果たしていることは、実に不思議な気がする。
 しかも、「重い判断」をした、地裁の裁判官の勇気と決断と英明を、上級審が支持し続けられるかどうかの「不安」を普通の国民が感じざる得ない現状に、憲法と日本の民主主義の危機を感じる。
 
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by sasakitosio | 2016-03-11 06:27 | 東京新聞を読んで | Trackback