憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

内戦終了はアサド退陣で

 2月28日付東京新聞朝刊社説横に、「太郎の国際通信」という欄がある。筆者は、ジャーナリスト・木村太郎氏だ。 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「泥沼のシリア内戦をめぐって、米ロが一時停戦で合意した。しかし、合意はこの内戦収束のカギを握るアサド政権のあり方については触れていないので、たとえ停戦が実現したとしても文字通り「一時的」に終わるとしか思えない。
 それほどにアサド政権に対する反政府側の敵愾心が強いということだが、その敵愾心が燃え上がったのは1982年に遡る。
 そのころシリアではアサド現大統領の父のハフェズ・アサド大統領の政権とイスラム主義組織「ムスリム同胞団」との衝突が激化し、大統領の暗殺未遂事件をきっかけにアサド政権が同胞団の鎮圧を図った。
 同胞団はシリア北部の都市浜を占拠、「解放区」を宣言したが、1万2千の政府軍が包囲して攻撃、1週間で街の中心部を破壊し尽くし、同胞団の戦闘員が殺りくされただけでなく多くの市民が反逆容疑者で拷問を受け大量処刑が行われた。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「この戦闘についてシリア政府は一切公表を禁じたが、、次第にその悲惨な状況が漏れ伝わるようになり犠牲者の数も千人から1万人、今では8万人に上ったとまでいわれ、中東現代史でも最悪の虐殺事件とされている。
 私は、この虐殺事件の前にハマを訪れたことがあった。
 首都ダマスカスから車で2時間ほどのそこはオロンテス川に沿って緑の農地が広がり、他のシリアの町が土ぼこりで褐色に見えるのとは別世界に思えた。
 オロンテス川から農地に水を送る水車がこの町の名物で、直径20メートルもあり水をくみ出すだけでなく周囲に涼しい風を送っていた。
 シリアでは時間が許せば訪れるようにしていたのだが、あの時から知り合いのタクシー運転手もハマ行きを断るようになった。理由を言わなかったが、政府が外国人が虐殺現場に入るのを禁止したことを後で知った。
 今季あの内戦は、チェニジアで始まったいわゆる「アラブの春」運動に触発されたものだったが、市民の抗議運動がすぐに武力衝突にエスカレートした地方都市の中にハマの名前もあった。シリアの反政府勢力が34年間ひそかに抱き続けていたアサド政権に対する怨念に火が付いたのだろう。」と指摘した。
 最後に筆者は、「34年前にハマの虐殺を逃れたムスリム同胞団の多くはその後、国際テロ組織アルカイダに加わり、今はアルカイダ系「ヌスラ戦線」として政府軍と闘っていると伝えられるが、今回この組織は停戦合意の対象に含まれなかった。
 虐殺を命じたハフェズ・アサド大統領の息子バッシャル・アサド現大統領に向けられたハマの弔い合戦ともいえる今回の内戦は、アサド政権を退場させる以外に終止符をうつことは ないのではないか。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 シリアの内戦が、アサド政権に対する「反政府側の敵愾心」が燃え上がったのは1982年に遡るとのこと、
 大統領の暗殺未遂事件をきっかけにアサド政権が同胞団の鎮圧を図り、それは中東現代史でも最悪の虐殺事件とされている、とのこと、等を初めて知った。
 そして、「虐殺を命じたハフェズ・アサド大統領の息子のバッシャール・アサド現大統領に向けられはハマの弔い合戦は、アサド政権を退場させる以外に終止符を打つことはないのではないか」との筆者の指摘は、よく理解出来た。
 そして、ここでも暴力の連鎖が立ち切れず、無辜の末裔が命の危機に見舞われている現実があった。ここは、宗教の出番のような気がするが?
 現存の宗教に、記憶力・組織力を持つが故の「人間の負の連鎖」を、断ち切る力がなければ、宗教にも革命が必要なのだろうか?
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by sasakitosio | 2016-03-03 06:51 | 東京新聞を読んで | Trackback