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by sasakitosio

命が軽んじられている 九電免震棟撤回

 2月8日付東京新聞社説に、「命が軽んじられている」の見出しで、九電免震棟撤回がのった。
 今日はこの社説を学習することにした。
 まず社説は、「あとで「やめた」と言っていいなら、どんなことでも「できる」と言えて、どんな審査もパスできる。原子力規制委員会と結んだ約束は国民に対する約束だ。ぶれたり揺れたりしてはならない。
 免震重要棟は、2007年の新潟県中越沖地震の際に、東京電力柏崎刈羽原発の緊急対策室のドアが、地震の揺れで変形して中へ入れなくなったり、室内の電子機器が倒れて使えなったりしたことを教訓に、東電が導入した。
 自家発電や通信設備、休憩施設や資材置き場なども備え、東日本大震災の8カ月前に完成した福島第一原発のそれが、初期対応のセンターとして威力を発揮した。
 3.11後の原発の新規制基準では、地震で機能を喪失しない緊急時対策所の設置を義務づけた。
 九電は川内原発の審査に対し、今年3月までに「免震棟」を完成させると約束して規制委の審査に通り、1号機は全国に先駆けて昨年8月、2号機も10月に再稼働に踏み切った。」と教えてくれる。
 つづけて社説は、「当初地上3階建て、延べ床面積は6600平方メートルの免震棟を造るとしていたが、昨年末に撤回を表明した。
 九電は方針撤回の理由として、「実績がない」などとしたうえで、「費用も関係ないわけでは無い」と説明している。
 「免震棟ができるまで」としていた平屋建ての「代替緊急時対策所」(170平方メートル)を存続させ、地上弐階地下弐階の「耐震支援棟」を併設。免震ではなく、小規模耐震で安価に済ます。
 規制委は確かに免震は求めていない。しかし、免震装置の上に建物を乗せる免震構造は、地震の揺れが伝わりにくく、揺れにくいという利点があるとされている。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「そもそも、免震棟の建設を前提に審査をパスした以上、大切なその前提を崩すなら、結果、すなわち“合格”も返上するのが筋ではないか。
 地震国日本に原発を安全に運転できる場所はない。それを押し切る以上、今なし得る最大限の安全対策が、当然必要なのではないか。
 全ての対策が整う前再稼働を許す規制委もそもそも甘い。
 それにしても規制基準や規制委があまりに軽視されていないか。
 規制を軽視するということは、福島の教訓を軽んじること、安全を軽んじることだ。
 つまり、国民の命を軽んじるということにならないか。」として締めくくった。
 読んで、なぜか腹が立った。
 社説の「原子力規制委員会と結んだ約束は国民に対する約束だ。ぶれたり揺れたりしてはならない。」指摘、
 「そもそも、免震棟の建設を前提に審査にパスした以上、大切なその前提を覆すなら、結果、すなわち”合格“も返上するのが筋ではないか。」の指摘、
 「全ての対策が整う前に再稼働を許す規制委はそもそも甘い。それにしても規制基準や規制委があまりにも軽視されていないか」の指摘、等全て納得できた。
 規制基準が許可基準であり、規制委員会は許可委員会であり、国民だましの高等なトリックなのではないか、と疑いたくなった。
 しかし、頻発する地震や火山の噴火、関東大震災からはや90年余、東北大震災から5年、東京へ出てビル群を見ながら「首都直下型、関東大震災」並みの地震が来たら、大量のマンション難民が出るのではないか、と心配しながらあるいている。
 又そんな想定外の事態に「政府と電力会社」は原発事故への備えや覚悟はできているのだろうか?
 福島での事故後の再稼働に対しては、政府や電力会社や同意した自治体に対する「国民」の見る目は何倍も厳しいものになると思うが、関係者にその覚悟はできているのだろうか?
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by sasakitosio | 2016-02-13 14:17 | 東京新聞を読んで | Trackback