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by sasakitosio

ドイツ寛容の力(中) 容易でない多文化主義

 2月3日付東京新聞社説欄に、「ドイツ寛容の力」(中)という社説がある。
 今日は、この社説を学習することにした。
 まず社説は、「「無責任で現実味がなく頑固なメルケル流の難民政策が、善意の市民を極右へと駆り立てるだろう」ドイツ中部、男性」
 「アラーの兄弟たちは変わっていない」(西武  女性)
 大みそかケルンで女性たちが難民申請者を含む外国人らにあちこちで取り囲まれ暴行や窃盗の被害に遭った事件後、週刊誌シュピーゲルに、読者から寄せられた怒りの手紙だ。
 現場の大聖堂前では抗議デモがあった=写真、AFP時事。
 メルケル与党内部からも、難民受け入れに上限を設けるべきだとの声が相次いだ。
 ドイツの人々の怒りは当然だ。
 犯人を罰し、また送還するのも適切な措置だろう。
 しかし、ほかの多くの難民まで排斥するのは、ドイツが掲げてきた人道に反する。」と指摘した。
 つづけて社説は、「ドイツの女性論客たちは、難民側の問題をいくつか指摘する。
 人権活動家は「女性の人権のない北アフリカや中東などからの人々が移住してくるようになった」と事件の背景を探る。
 イスラム研究者は「家父長的な考え方が問題だ。イスラム特有ではないが、イスラム諸国に広がっている」と言う。
 ドイツ政府は、ドイツ語の習得を重視してきた。
 コミュニケーションなくして、社会の統合はありえない。しかし、それではもちろん十分でもなく、女性観をはじめとする、社会のルールやマナーを身に付けさせる必要性も出てきた。多文化主義とは、容易ならざる現実主義ともいえる。」と指摘した。
 最後に社説は、「社会のルールとは何が犯罪かを線引きする法律ではない。
 ごみの分別、
 夜間や休日の静粛順守、
 ベランダには洗濯を干さないーーなど。
 ドイツにはドイツの暮らしがある。多文化統合はただの理念ではなく、寛容とは互いに歩み寄る忍耐である。
 もとより、押し寄せる百万人単位の難民申請者に、ドイツ一国では対応できない。欧州連合(EU)の試練でもある。
 厳しい逆風の吹く中、どんな結束と知恵を示せるのか。悩める世界の課題でもある。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 たまたま、一年前から、今年の年末年始の旅行先を「ベルリン」ときめていたので、2015年12月31日は、ベルリンのブランデンブルグ門の周りをうろうろ歩き回っていた。
 ここ数年、私が旅行から帰ってくると、訪問先の「街」で、乗り継ぎの「街」で、事件が起きていた。
 今年は、何もない穏やかな年だと思っていたら、ベルリンから遠く離れた「ケルン」で大みそか、女性たちが難民申請者を含む外国人らにあちこちで取り囲まれ暴行や窃盗の被害にあったとのこと。義理も人情も、感謝や報恩の気持ちが全くない「集団」を、受け入れている「ドイツの寛容」さは、その深さ広さにおいて計り知れないものを感じた。
 また、事件の背景は、社説で指摘するように「女性の人権がない北アフリカや中東からの人々が移住してくるようになった」こと、「家父長的な考え方が問題だ。イスラム特有ではないか、イスラム諸国に広がっている」こと、にあるのは間違いない。
 良くも悪くも「多文化」の融合の難しさ、それを人道主義で乗り越えようとしているドイツは、人類の歴史的大ドラマ劇場のようだ、と思った。
 
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by sasakitosio | 2016-02-08 06:48 | 東京新聞を読んで | Trackback