九条シャツ 9条せんべい
2016年 01月 20日
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「音楽番組のキャスターとしておなじみのピーター・バラカンさん(64)から先日、意外な話を聞いた。
昨秋、東京都心の広尾からから六本木へ歩いていたところ、2人の警官に呼び止められたという。
「どこへ抗議に行かれる予定ですか」。え?「あなたの服に9条と書いてありますので」
N゜9 NO WAR
LOVE & PEACE
シャツの胸に総プリントされていた。これで僕に質問ですか?「抗議活動があれば事前に把握したいので」
安保法制が強引に可決されて1カ月もたたない金曜日の昼下がりのことだ。
「 それにしても」とバカランさんは余憤を隠さない。「日本に40年住んでいますが、こんなことは一度もなかった。広尾や六本木は仕事や子どもの学校で親しんだ街。驚きました」
FM局へ収録に向かう途中だった。
シャツに憲法という文字はなかった。
「9の字が見えたらだれでも警官が呼び止めるのでしょうか。仮に僕がデモに行く途中だとしても、それはとんでもない話。日本はなんだか危ない方向へ行っていませんか」」と切り出した。
つづけて筆者は、「バラかンさんの話から、数字の9が頭に次々浮かんだ。
野球なら9回の裏。
京都には九条せんべいだってある。
特産の9条ねぎを使ったお菓子だが、このご時世、もしや何かひどい目に遭っていないか。製造元のひとつ、京都市東山区の三善製菓所を訪ねた。
「今も焼いてます。ただ「憲法九条ねぎセンベイ」式のゴロ合わせの宣伝は控えています。
商売には右も左もありませんから」。
知恩院に近い店で経営者の男性(63)は淡々と語った。
商品化したのは10数年前。自衛隊のイラク派遣で論戦が続いてころだ。海外で隊員を危険にさらしたくないという思いを込め、いっときは9条2項の条文を包装紙に貼った。いまは違う。
「2.3年前から世間の雰囲気がガラッと変わりました。世の中がここまで右傾化すると用心もいります」
誰もが感じている通り、日本の雰囲気は2.3年で驚くほど変わった。人口が減り、国の借金が増えた。
成長戦略は見えず、中国は強大化していく。官邸だけでなく人々も気持ちに余裕がなく、万事ギスギスしてきた。
ささいな日本批判が気にさわる。」と指摘した。
最後に筆者は、「象徴的なのは、米映画「アンブロークン」をめぐる騒ぎだ。アンジェリーナ・ジョリー監督が日本軍の捕虜虐待を取り上げた。米国では一昨年の秋に封切られ、数十か国で上映された。
日本公開は遅れに遅れた。来月6日から上映されることになったものの、「反日」「日本をおとしめる」といったネット上の反発はなお消えない。
たまたま私は昨年、出張中に国際線の機内で見た。一体いどこが反日なのか、さっぱりわからない。
主人公をいたぶる日本兵の加虐癖は不快だが、米映画でのロシアやイスラム教徒たちのゆがめられ方に比べたら、物の数ではない。ひと頃の中国抗日映画のように、愚かで小心な日本人の描写が延々続くわけでもない。
B29による空襲の場面では、米軍の残虐さも一応指摘されている。
この映画を見て侮辱されたと憤る人が本当にいるのだろうか。もしいたら失礼ながら、その方々の了見の狭さはさすがの私をも上回る。
日本兵による捕虜虐待を扱った映画はいくつもある。「戦場にかける橋」(1957年)や「戦場のメリークリスマス」(83年)など。これら作品でも、虐げる役の人物造形は「アンブロークン」と大差はない。
それでも当時の日本には、見もしないで「反日」と決めつけて上映を妨げるような動きはなかった。すぐれた映画なら正当に評価する度量もあった。
いま、時代の狭量さを示す例にはこと欠かない。映画、服、せんべい。いくらでも挙げられるのが情けない。」として締めくくった。
よんで、勉強になった。
そして、米映画「アンブロークン」を見てみたいと思った。
映画も、本も、ネット上の書き込みも、みな表現者の「思想や感情であって」、まさに日本国憲法に保障されている「表現の自由」で、いちいち目くじらを立てていたのでは、疲れるよう気がする。
自分の「表現の自由」を使って、他人の「表現の自由」を妨げることほどの「卑怯」なことはないと思う。が、ここは侵害される側から、相手にその理不尽さや、了見の狭さを、同じ手段で教えてやるしかないのではないか、と思った。
「凡庸な悪」という言葉があるが、気づかない「加害ということ」はよくあることだから。