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by sasakitosio

感謝の安売り

 1月17日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「スポーツ選手や芸能人がよい仕事をしてほめられる状況でのインタビューの中で、やたらと感謝という言葉を口にすることが気になる。自分一人の手柄ではなく、支援してくれた人々に感謝したいという気持ちにケチをつけるわけではない。しかし、感謝が乱発されると、それは謙虚な感情の発露というよりも、世渡りの技法に思えてくる。とりあえず世間に向かって感謝と言っておけば、たたかれることはないだろうという教訓を、若い人々も体得しているのだろう。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「成人の日ニュースで、若者に主催者として選挙に行けるようになったことへの感想を尋ねたところ、選挙権を与えられたことに感謝して必ず投票に行きたいと答えた若者がいた。ここまで来ると、感謝はお門違いである。選挙権を得ることは恩恵ではなく、当然の権利である。
 感謝とは、自分のおかれた状況に満足し、その状況をつくった側に恩義を感じることである。感謝が安売りされるということは、とりあえず現状を肯定することにつながる。しかし、世の中には不正や不条理が山ほどあるのであり、怒ったり憤ったりすることも必要である。」と指摘した。
 最後に筆者は、「何事につけ感謝するよい子ばかりが政治に参加するようになって、世の中を改善していくエネルギーが湧いてくるものかどうか。私は疑問に思う。」として締めくくった。
 読んで、為になった。
 確かに、筆者の指摘のように、スポーツ選手や芸能人がよい仕事をしてほめられる状況でのインタビューの中で、周囲に感謝という言葉を聞く。へその上に両手を重ねて、馬鹿丁寧にお辞儀をしている「銀行員」の美人を見て、思わず笑ってしまって、睨まれたことがある。それ自体は悪くないが、なんとなく不似合いな感じがしたことを思い出した。
 「感謝とは、自分の置かれている状況に満足し、その状況をつくった側に恩義を感じることである」、
 「しかし、世の中には不正や不条理が山ほどあるのであり、怒ったり憤ったりすることも必要な場面がある」、との筆者の指摘は、理解し納得した。
 感謝は私的なことで、怒りは公的なことで、と考えたらどうだろうか?
 感謝の気持ちを持てば、私憤は起きない、起こしてはいけないという、戒めになるのではないか?
 しかし、公的な地位にある人たちが、自分と同じ感謝の念を失い、私欲に走った時は、怒りや憤りは倍化し、世の中を改善する「若者のエネルギー」はより大きなものになることを、わたし的には期待したい。
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by sasakitosio | 2016-01-18 06:48 | 東京新聞を読んで | Trackback