憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

陳腐でラジカルな悪

 1月7日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「H・アーレント「イエルサレムのアイヒマン」は大虐殺を実行したナチスの元高官の裁判を題材に現代の悪を論じたもので、副題の「悪の陳腐さ」はあまりにも有名な言葉だ。
 最近もアイヒマンは確信犯なのか、歯車に過ぎないのか、どう組織と個人への責任をふりわけるか、傍観する「普通のひとびと」を免責するべきかなどの論争が再燃している。
 進歩や啓蒙の標語の背後で、20世紀だけでも戦争や強制収容所や無差別爆撃などの巨大な犯罪が繰り返されてきた。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「人類という種は邪悪な性向を持つもので、暴力と破壊の救いのない歴史が今後も続くことになるのか。
 国家対テロ組織の殺し合いだけではなく、グローバル市場がもたらす人権侵害と命の格差はどうすべきか。
 S・ネイマン「近代思想における悪」(未訳)はアーレントの解釈として次のようにいう。
 一人ひとりの意図や思惑、保身や現状追認がひとつの仕組みに放り込まれてより合されると、巨大な力に変身して決定的な犯罪行為や重大な結果、つまり民族浄化や環境汚染などを生み出す。ラジカル(根源的)な悪とは極悪人の所業ではない。個々の陳腐な悪と重大な結果の間の懸隔を指すのだ。」としてきした。
 最後に筆者は、「水俣病の原因を隠蔽したチッソや、原子力ムラの面々はわれわれと同じ小さな個人のはずだが、かれらの行為の結果を見よ。」として締めくくった。
 「本音のラム」や新聞コメント記事を読んで、ハンナ・アーレントの「凡庸な悪」という言葉を知った。そして、ドイツのベルリンでヒトラーに関わる遺跡に足を運びたいと思っていた。今年幸いにして、年末年始にベルリンを歩いた。
 ホロコーストとヒットラーが自殺した地下壕跡に、2日かけて2回じっくり時間をかけて、立って見てた。ホロコーストの横の道路の標識に、Hannah-Arendt-Strafβeの文字があったので、タブロイドで写真を撮ってきた。ドイツ語は読めないが、ひょっとすると、ハンナ・アーレント・道路、と書いてあるのかもしれないと思った。
 これも偶然だが、泊まったホテルの前に「アイヒマン」の住居があったらしい。ホテルの前のバス停の囲いに、畳弐枚分のスペースに真新しい「アイヒマンの裁判の写真とアパートの建物」の写真が、“忘れない”という標語とともにあった。
 裁判から50年以上たっても、このしつこさに感動するとともに、ドイツはヒトラーの責任を問うと言うよりも、「ヒットラーの思想」を革命的に社会の隅々から、一掃したのだと思った。
 日本における「戦争責任」の追及、加害者責任の追及が、国民的視点でなされなかったのとは、質を異にしていることを、改めて知った。
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by sasakitosio | 2016-01-08 05:51 | 東京新聞を読んで | Trackback