憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

高浜原発訴訟 司法の役割はどこへ

12月25日付朝日新聞社説に、「司法の役割はどこへ」との見出しで、高浜原発訴訟の事が載った。
 今日はこの社説を学習することにした。
まず社説は、「まるで福島原発事故以前の司法に逆戻りしたかのようだ。
 福井地裁がきのう、関西電力高浜原発3.4号機(福井県)の再稼働を禁じた4月の決定は「緩やかに過ぎ、適合しても原発の安全性は確保されない」と断じていた。
 だが今回は「高度の専門性、独立性を有する原子力規制委員会が審査する新規制基準の枠組みには合理性がある」とし、規制委の審査についても「判断に不合理な点はない」と結論づけた。
 同時に審理していた大飯原発3.4号機(同)の運転差し止め仮処分申請も、「再稼働が差し迫っているとはいえない」として却下した。」と切り出した。
 つづけて社説は、「4月の決定は05年以降、4つの原発に5回も耐震設計の目安となる基準地振動を超える地震が来たことや、使用済み核燃料プールの設備も堅固でないと指摘した。これらの点も今回の決定は「危険性は社会通念上無視し得る程度にまで管理されている」と述べた。
 原子力専門家の知見を尊重し、安全審査にみすごせないほどの落ち度がない限り、司法は専門技術的な判断には踏み混まないーーーー。92年、四国電力伊方原発訴訟で最高裁が示した判例だ。今回の決定は、この考え方を踏襲したといえる。
 だがこの枠組みで司法が判断を避け続ける中で、福島事故が起きたのではなかったか。
 原発はひとたび大事故を引き起こせば広範囲に長期間、計り知れない被害をもたらす。専門知に判断を委ね、深刻な事故はめったに起きないという前提に立ったかのような今回の決定は、想定外の事故は起り得るという視点に欠けている。
 「3.11」後の原発のあり方を考える上で大切な論点だったはずだ。
 「関電は高浜の2基の再稼働が1日遅れるごとに、約4億円の経済損失が出ると主張してきた。「司法のストッパー」が外れたことで、再稼働へ向けた手続きが加速する。
 だが、原発には国民の厳しい視線が注がれていることをわすれてはならない。」と指摘した。
 最後に社説は、「電力会社は原発再稼働の同意を得る地元の範囲を県と原発立地自治体に限っている。
 高浜原発の30キロ圏内には、京都や滋賀も含まれる。同意を得る範囲は見直すべきだ。
 福井県に多くの原発が集まる集中立地のリスクについても、議論は不十分だ。政府も電力会社も、これらの問題点を置き去りにしたまま再稼働へ突き進むことはゆるされない。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「原子力専門家の知見を尊重し、安全審査に見過せないほどの落ち度がない限り、司法は専門的判断には踏み込まないーー。92年、四国電力伊方原発訴訟で最高裁が示した判例」、
 「だがこの枠組みで司法が判断を避け続ける中で、福島事故が起きたのではなかったか。」、との社説の指摘は極めて重いものがある。
 三権分立の一翼を、これほど自信のない人々に託しているかと思ったら、あらためて日本には三権分立を保障する憲法はあれど、しれを担う司法はなく、また憲法の番人も不在だということか?
 立憲主義と民主主義の定着には、憲法を変えるよりも、司法の独立を確立することが不可欠のような気がした。
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by sasakitosio | 2016-01-06 17:29 | 朝日新聞を読んで | Trackback