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by sasakitosio

差異の時代の民主制

 12月20日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という欄がある。筆者は、東京大名誉教授・佐々木毅氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことした。
まず筆者は、「先月から現代民主制について総括的な議論をしている。前回は民主制を取り巻く経済環境が変わり、政府指導から市場指導へと政策の軸が構造的に変わる中で、かって安定していた利益政治の構造が変質していることを述べた。日本でも企業と役所が人々の生活を守るシェルターの役割を果たした時代があったが、政府が業界を守るのは過去の物語となり、企業はグローバル競争に精力を集中し、政府・企業・国民生活の一体性は解体にさらされている。
 国民経済が、一体性を持たなくなったのと軌を一にして格差拡大が進行中である。新興国は当然として、旧来の民主制でもこの傾向は歴然としている。
 フランスの経済学者トマ・ピケティの所説は、これを歴史的に跡付けることで反響を呼んだ。彼はこのまま行けば21世紀は寒々とした格差社会になると指摘した。所得が一部に集中する傾向は強まり、それに対し「われわれは99%だ」といった抗議運動も見られた。格差是正が国境を越えた政治運動として広がる可能性を視野に入れる必要がある。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「冷戦後、民主化と市場経済化という二つの普遍的な原理の勝利が高らかに宣言されていたころ、その陰で民族も再登場した。
 民主化と市場経済化は寛容と包摂を掲げる原理であるが民族は差異・差別化の原理である。
 それを承知した上で普遍的な原理で差異・差別的な原理を抑え込むというのが冷戦後の基本的な目標であり、欧州はその理念に従って統合を進め、米国は民主化の理念をかざしてイラクのサダム・フセイン体制を打倒した。
 しかし、旧ユーゴスラビアなどで民族浄化が猛威を振るったことは一つの現実であった。またナショナリズムの前には法の支配の権威も動揺しかねないことが心配されるようになった。
 民族と並び宗教も差異化の素地を持つ。それが浮き彫りになったのが米中枢同時テロであり「イスラム国」(IS)による「ジハード」である。米国の大統領選の党指名争いで特定の宗教の入国禁止が提案され話題になっているように、差異が社会を変質させる可能性を示唆している。差異はテロや暴力につながる。イスラム世界では宗派対立はその証左である。
 グローバルガバナンスの脆弱化の下、差異への敏感度の高まりは軍事力行使のハードルを低くする。」と指摘した。
 最後に筆者は、「民主化や市場経済化は普遍的な原則であるが、全てにの人が満足する結果を保証しない。そこで点を稼いでいるのは差異的な原則である。差異的なものは互いに刺激し合って活性化する。
 差異のエネルギーがあふれ出し、民主政の持続能力をテストし、内側からそれを変質させる可能性は無視できない。欧州に見られるように難民やテロにより差異のエネルギーは供給され続ける。
 利益政治の不安定化と格差の拡大も一種の差異現象であり、しかも、この経済的な差異と宗教・民族などの文化的な差異との政治的活性化は同時に進行しつつある。民主政が差異のエネルギーを封じ込める力量を持ちうるか、それとも民族や宗教に乗っ取られるか、その差は大きい。
 欧州は今そのせめぎ合いの最前線にある。「タイム」誌が今年の人にドイツのメルケル首相を選んだのはここに根拠があろう。
せめぎ合いの結果は世界に影響を及ぼし日本や米国も人ごとではない。二つの差異との対面を抜きに現代民主主義を語ることはもはやできない。」として締めくくった。
 読んで、勉強になった。未知との遭遇のような感じだ。大学の講義を初めて聞いたような感じだ。
 「差異」、「差異のエネルギー」「差異現象」という言葉自体が真新しくて、理解が難しい。
「民主政が差異のエネルギーを封じ込める力量を持ちうるか、それとも民族や宗教に乗っ取られるか、その差は大きい」との指摘は、筆者から「その差の姿」を具体的に教えてもらわないと、理解が難しい気がした。
 また、普遍的な原則である「民主化」は、宗教や民族の中にも、その団体の持続的発展のためにも、必要不可欠の原理として内在するのではないかという気がするが?
 
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by sasakitosio | 2015-12-22 06:46 | 東京新聞を読んで | Trackback