憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

1億総勤労からの脱却を

 11月26日付朝日新聞朝刊17面に、「あすを探る 財政・経済」という欄がある。筆者は、慶応大教授(財政社会学)・井手英策氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「ふと思い立ち、国立国会図書館の検索機能を使って、書籍のタイトルに見える「勤労」という言葉を調べてみた。ヒット件数が急増するのは第二次世界大戦前後の時期だ。
 勤勉に働くという思想なら、近世ヨーロッパや二宮尊徳の活躍した江戸時代の日本にもあった。だが尊徳の銅像が普及したのは満州事変後であり、次々と勤労をうたう閣議決定が行われ、勤労奉仕や勤労動員などの用語が定着したのは戦時期だった。
 戦争の産物であるこの概念は、思想の垣根を超えて浸透した。社会党(現社民党)は19945年にまとめた綱領に自らを「勤労階層の結合体」と定め、同じ年、共産党も行動綱領のなかで勤労の語を8度も繰り返した。極め付きは日本国憲法だ。勤労は「義務」にまで昇華された。
 戦後財政の基礎を築いてのは、所得倍増計画を打ち出した池田勇人である。その池田も著書で「人間の勤労の能率をよくし、生産性を高める」公共事業と「勤労者に対する」減税を政策の柱に据えていた。
 勤労する民の生活基盤は貯蓄だった。貯蓄は勤労の証しであり、かつ、老後、教育、住宅といった暮らしの防衛線でもあった。反対に、公共サービスは、権利ではなく、貧困層や高齢者、母子家庭、障害者への施しと考えられた。
勤労を義務とし、自分の蓄えで生きゆく自己責任社会。権利より道義を重んじる人びと。日本の福祉国家はまさに「勤労国家」だったのである。」と切り出した。
つづけて筆者は、「バブル崩壊後の90年、この前提は根底から覆った。不良債権に苦しむ銀行は貸し付けを削減した。不動産価格が下がり、追加担保を迫られた企業側も借金返済を急いだ。さらに、キャッシュフローを重視する国際会計基準も導入された。
 企業は、「手許現金の確保」に追われ、雇用の非正規化、人件費の削減に乗り出した。政府も労働規制緩和や法人税減税でこれを支えた。
 企業の経常利益はバブル期に匹敵する額に達した。だが、働く場をつくるための努力もむなしく、勤労者の生活は見るも無残に劣化を重ねた。 
 最大の不幸は、グローバル化のもとでの賃金下降圧力に太刀打ちできず、勤労国家の柱である減税と公共事業が巨額の政府債務を生んだことだ。踏み倒しを恐れた勤勉な民は歳出削減を支持し、公共事業や社会保障は容赦なく切り下げられた。
 823万世帯(90年)から1077万世帯(2014年)へと共稼ぎ世帯が急増した。夫婦で働いたのに世帯所得はピーク時より2割近く減り、先進国きっての高いワーキングプア率となった。勤労どころか就労さえできない。家族で働いても貧困がついて回る。家計貯蓄率はゼロ近辺をさまよっているのに、自己責任だけは繰り返し求められる。
 「勤労国家」は完全に破綻たんしてしまった。
 だがその残骸は残っている。家族との時間を犠牲にして、出産をあきらめ、過労死さえ強いられかねない勤労者には、働かない人間が目の敵になりかけている。生活保護への批判はその象徴である。社会的弱者の不正を暴き立て、給付を削り、負担を増やすことが納税者目線で「公平」だと語られるようになった。」と指摘した。
 最後に筆者は、「安倍政権の新「3本の矢」も、出生率をあげ、介護離職者を減らすだけなら反論の余地はない。だが、たと介護離職を免れ出生率があがっても、働くことが苦痛である限り、働いていない人への攻撃は止まないだろう。義務感ではなく、働きたいから働き、働けない人への思いを馳せられる社会を目指すべきだ。1億人に総労働を迫る社会からは、人々が活躍する社会は生まれない。
 仕事と生活の両立支援や就業環境の改善、非正規問題の解消などが大切なのは、勤労のためではなく、働く痛みを緩和して、働けない人への理解と共感を育むためではないだろうか。
 生きやすさこそが、多くの人が活躍する社会の大前提である。」として締めくくった。
 読んで大変勉強になった。
 中学校の校門の右側に、槇を背負いながら本を読む「二宮尊徳」の銅像があったのを思いだした。草刈り籠を担いで本を読んでみたが、肩に食い込むショイ縄の痛さに、本を読む余裕がないことを、実感したことを思いだした。
 「尊徳の銅像が普及したのは満州事変後であり、次々と勤労をうたう閣議決定が行われ、勤労奉仕や勤労動員などの用語が定着したのは戦時期だった」との指摘、
 「勤労を義務とし、自分の蓄えで生きていく自己責任社会。権利よりも道義を重んじる人びと。日本の福祉国家はまさに「勤労国家」だったのである。」との指摘、
 「勤労どころか就労さえできない。家族で働いても貧困がついて回る。家計貯蓄率ゼロ近辺をさまよっているのに、自己責任だけは繰り返し求められる。「勤労国家」は完全に破たんしてしまった。」との指摘、等等の指摘は、刺激的であった。
 そして、「生きやすさこそが、多くの人が活躍する社会の大前提である」との筆者の指摘はその通りであり、それを国民共有のものにするには、どうすればいいのか?しかも、平和裏に。
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by sasakitosio | 2015-11-28 07:13 | 朝日新聞を読んで | Trackback