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by sasakitosio

パリ同時テロ 冷静さ失わず行方見定めて

 11月20日付朝日新聞朝刊17面に、「月刊安心新聞」という欄がある。筆者は、千葉大学教授・神里達博氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「とてつもないテロが起こった。楽しいはずの週末の夜、クールなコンサートホール「バタクラン」に集まった若者たちが、文字通り「虐殺」されたのである。
 13日、パリで起った同時多発テロで最大の犠牲者が出た現場では、昨年、「きゃりーぱみゅぱみゅ」のライブも行われている。自分の身の上に何が起こっているのかもわからないままに命を奪われた。彼ら、彼女らの無念や絶望を思うと、本当に言葉が紡げなくなる。こうやって自分が東京で、ありふれた日常を送っていることすらも、なにかとても不謹慎なことに思えてくる。正義、信頼、常識といった言葉そのものが、なんだかすかすかの、書き割りのように感じられるのだ。
 だがそれも、テロリストたちの目論みの一部かもしれない。事態は時々刻々と動いており、またさまざまなメディアが事件のその後を伝えている。いや事件は今も継続中であり、私たちはなにが起きているのか全貌を理解できていないのだ。その意味で「バタクラン」で悲劇をに見舞われた観客たちと、私たちは地続きだ。
 そんな時に議論できることはことは限られているが、私たちの日常的な「安心」を脅かすこと自体を狙っているのが「テロリズム」である以上、本連載で扱わないわけにはいかない。
 結論を先取るならば、おそらくこのような時に最も大切な態度は「冷静さを失わない」ということではないか。これはとても平凡なことだが、実行するのはむつかしい。では具体的に極東の島国に住まう私たちに為し得ることはなんだろう。それはできるだけ視野を拡大し、脊髄反射の様な反応を慎み、可能な限り思慮を深め、世界がどこへ向かっているのか、まずみさだめてみようと構えること、ではないか。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「テロという言葉は奇しくもフランスに起源がある。
 1789年に起きたフランス革命は、混乱の中、ロベスピエールら「ジャコバン派(山岳派)」の独裁に至り、ここにいわゆる「恐怖政治」が始まる。
 その1年ありの間に、ジャコバン派は政敵を次々と粛清していったが、徐々にその対象は一般市民にも拡大、この時期にフランス全土で2万人もの人々が処刑された。まさに血で血を洗う革命のさなかで称した、この「恐怖政治=Terreur」こそが、「テロ」の語源となったのである。
実際、1794年に起こった政変でジャコバン派が失脚すると、彼らは「テロリスト」として逮捕・投獄され、多くは処刑された。
 このように、「テロ」という言葉が生まれたのは18世紀のフランスであるが、同種の事件は、人類の歴史において繰り返されてきた。
 手元の年表を開けば、暗殺された政治家の名前が数多く見つかるだろう。腹心のブルータスに殺されたシーザーや、鎌倉の鶴岡八幡宮で甥に暗殺された源実朝、本能寺で襲われた織田信長なども要人テロの犠牲者と呼びうるかもしれない。
 もっとも現代では、もう少し限定的な意味でこの言葉を使うことが多い。すなわち「不特定多数をターゲットとする暴力により、一般市民に恐怖を拡散させ、政治目的を達成しようとする行為」である。
 だが実は、「9.11テロ」以降、テロの研究が盛んになったものの、出発点となる言葉の定義すら、まだ学術的に一致していない。テロを客観的に把握するのは難しいようだ。
 そもそも、規模のことを別にすれば、テロリストの行為自体は一般の犯罪と大差はない。「金品欲しさの強盗」などとテロとの最大の違いは、その動機にこそある。
 一般の犯罪者は個人的な利益のために罪を犯す。自分の行為が犯罪であることを自覚しているがゆえに、隠蔽や逃亡を企てる。だがテロリストは逆で、自分らの行為を犯罪と考えていないので、仮に逃亡しても犯行を顕示しようとする。それは、そのおぞましい行為すらも、英雄的ととらえる人々が一定程度存在するはずだと、テロリスト自身が期待しているからにほかならない。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「厄介なのは、歴史を読むと、実際に「勝てば官軍」的な事例が見つかってしまうことだ。多数の市民を虐殺した今回のテロと同列に議論するつもりは毛頭ないが、たとえば有名な「新撰組」は、いわば守旧派の「白色テロ」であった。だがそれも明治政府から見た描像であって、徳川政権から見れば、治安のために新設した特殊部隊であったはずだ。
言うまでもなく、テロリズムに対する過度の相対化は危険だ。テロリストの身勝手な暴力はどんな理由があろうが正当化できない。だが、「単なる犯罪」ともやはり違う。ここが非常にセンシティブで、難しい。
 いずれにせよ、今の私たちが最も警戒すべきは、テロリストの挑発に乗って、社会の大切な価値を放棄するような選択を、私たちが自身がしてしまうことではないか。」と指摘した。
 最後に筆者は、「直観的には、今回の出来事は「9.11テロ」に匹敵する影響を及ぼし得ると思う。
 20世紀初頭、サラエボでの銃声が世界史を塗り替えたように、テロは歴史の流れを大きく変えることがある。だが同時に、それは宿命ではないということも、強調して置く必要があるだろう。
 フランス革命を経て私たちが手にした近代的な価値が、同時に生まれた「テロ」によって損なわれようとしているとすれば、歴史の皮肉である。近代を成立させている基本条件を点検して足場を固めながら、慎重かつ大胆にテロと対峙することが今、求められているのではないか。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 まず、テロという言葉が「フランスに語源がある」とのこと、
 「血で血お洗う革命の中で生じたこの「恐怖政治=Terreur」こそが「テロ」の語源になったのである。」とのことを知ることができた。
 また、筆者の「そのおぞましい行為すらも、英雄的と捉える人々が一定程度存在するはずだと、テロリスト自身が期待している」との指摘は、テロを根源的に防ぐ「ヒント」が隠されているような気がした。
 この機会に、世界の宗教的指導者に国連にでも集まってもらって、「おぞましい行為」は、絶対的に、宗教的にも、おぞましい行為だと、共同声明を出してもらうことが、効果的なような気がした。人間を救う宗教が元で、人類が滅亡しては、笑いない笑い話ではないか。
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by sasakitosio | 2015-11-23 10:58 | 朝日新聞を読んで | Trackback